小学校の「忙しい」は,主婦か主夫の話。
小学校は「学級王国」と呼ばれることがありますが,私が名付けたのは
小学校教師=「大きな一人親家庭」のお父さんかお母さん。
忙しい,忙しい,と言っているのは,主婦か主夫のような話です。
小学校の教師があまり経験できないのは,
「主婦としてのたいへんさ」ではなく,「子どもとしてのたいへんさ」です。
効率よく仕事ができるのは,家事のような働きのこと。
家計簿をつけたり,食事のメニューを考えて食材をそろえたりするのは,それなりのこつが必要でしょう。というか,意識があれば経験でわかるようになっていく。一人でできることです。
そして,こういう仕事は,いつか惰性になり,
「できることであれば人にかわってほしい」仕事になる。
中学校の教師が抱えている,「子どもとしてのたいへんさ」とは何のことだか,
おわかりになりますか?
どこかのブログにも,「効率本」にも,ここが書かれていない。
だから,中学校では通用しない・・・というか,子どもにも通用しない教師になってしまうのです。
とても気の毒なことなのですが,子どもの「教師を見る目」はたしかなもの。
小学校時代にはそのレベルの言語化はできなかったことでしょうが,記憶をもとに思考できる。
ある生徒が言った言葉が忘れられません。
「帰って家のことでもしれてばいいのに」・・・まあ,中学生ならむしろこういうことが言えるようにならなければ一人前にはなれないのですけれど。
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