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小学校の「忙しい」は,主婦か主夫の話。

 小学校は「学級王国」と呼ばれることがありますが,私が名付けたのは

 小学校教師=「大きな一人親家庭」のお父さんかお母さん。

 忙しい,忙しい,と言っているのは,主婦か主夫のような話です。


 小学校の教師があまり経験できないのは,

 「主婦としてのたいへんさ」ではなく,「子どもとしてのたいへんさ」です。

 効率よく仕事ができるのは,家事のような働きのこと。

 家計簿をつけたり,食事のメニューを考えて食材をそろえたりするのは,それなりのこつが必要でしょう。というか,意識があれば経験でわかるようになっていく。一人でできることです。

 そして,こういう仕事は,いつか惰性になり,

 「できることであれば人にかわってほしい」仕事になる。

 中学校の教師が抱えている,「子どもとしてのたいへんさ」とは何のことだか,

 おわかりになりますか?

 どこかのブログにも,「効率本」にも,ここが書かれていない。

 だから,中学校では通用しない・・・というか,子どもにも通用しない教師になってしまうのです。

 とても気の毒なことなのですが,子どもの「教師を見る目」はたしかなもの。

 小学校時代にはそのレベルの言語化はできなかったことでしょうが,記憶をもとに思考できる。

 ある生徒が言った言葉が忘れられません。

 「帰って家のことでもしれてばいいのに」・・・まあ,中学生ならむしろこういうことが言えるようにならなければ一人前にはなれないのですけれど。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より