女子にたよる学級経営と劣化していく指導力
小学校段階だと,男子に比べて女子の学力,真面目さ,コミュニケーション能力が明らかに高いので,「効率」を重視する=「手抜き」の正当性を主張する教師は,女子の能力を最大限に「利用」して,毎日を「流す」ことができるようになります。
「手抜き」傾向は,中学校まで引き継がれている場合もあります。
この「手抜き」とは,「遅れている男子は,指導して能力を高めるのは効率が悪い=かなりの労力を要する・・・ので,放置しておく」という意味です。
ちょっと脇道に逸れますが,教員採用試験も,男性・女性の区別を全く考慮に入れないで採用を決めると,「ほとんど合格者が女性になってしまう」という事態があることは,いくつかの自治体の方から耳にしました。
そもそも大学で真面目にこつこつ勉強していた「優等生さん」が女子には多い。
もちろん地区によっては,「男性の志願者の方が優秀だ」というところもあるかもしれません。
ただの「優等生さん」は,「大半が自分のようでない子どもたち」に囲まれて,「だれも言うことを聞いてくれない状況」にショックを受け,すぐに辞めたくなってしまう,そんな例も少なくないでしょう。
ただ,私の現場や行政の経験,子どもを通わせていた公立小学校の状況から判断して,女性のデモシカももちろんいますが,いくつもの優良企業に内定がとれるような女性が,一生涯の「働きやすさ」を考慮して,教職を選ぶ,ということはあると思います。
私の学校の同僚でも,3人お子さんを産んで,そのたびごとに産休,育休をとっていました。
こういう方は,勤めている年数より休んでいる年数の方が多くなる,ということもありえます。
一般企業ではなかなか難しいでしょうね。
さて,女子にたよる学級経営は,どんな社会を生み出すことになるのか,という「社会学者の研究」があればいいのですが,直観的には,「ますますだらしない男性フリーターやニートを増やす」だろうと思われます。
「一人親」としては,やはり「しっかりものの長女」がいれば,家事は楽なのです。でも,本当にこの「楽」は社会全体のためになっているか。
女子のリーダーもいてかまわないのですが,男子もしっかり育てていかない限りは,「次の一人親」を生み出すだけの教育になってしまっていないか,というのが私の危惧するところでもあります。
・・・生徒のいいリーダーが育つだけで,教師たちの「多忙感」はふっとんでしまうのですが,そこに甘えた瞬間に教師の指導力の劣化が始まります。
中学校には,自分の指導力のおかげだと勘違いしている人がいて,本まで出してくれているので分かりやすい話なのですが。
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