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良薬になるな,劇薬になれ

 自分のことを「よい人間」だと思わせるような努力をネット上でする必要がどこにあるでしょう。

 ・・・と,開き直れない人が,大勢いるようです。

 「よい人間」かどうかが大事な場合もあるでしょうが,本当に「よい人間」かどうかは人が判断することです。

 「よい人間」だと思わせるように振る舞えば,相手が「よい人間」だと思ってくれるかどうかはわかりません。

 
 教師の中には,「よい人間」というより,だれかにとって「都合のよい人間」がたくさんいます。

 それは,管理職にとってだったり,子どもたちにとってだったり,・・・さまざまです。

 
 本当に「よい教師」とは,どのような教師のことか。

 本当に「よい教育」とは,どのような教育のことか。

 
 これを,見城徹・藤田晋の『憂鬱でなければ,仕事じゃない』(講談社)のスタンスから考えると,本当に多くの答えが見えてきます。

 私は立場上,とても多くの人の生の声を耳にしてきました。

 日本では,「本音と建前」という「二つの真実」の有り様に目を向けなければ,正しい方向は見えてきません。

 
 病んだ教育現場に必要なのは,「良い薬」なのか?

 私の答えは,NOです。

 状況を変えるには,「劇薬」が必要なときもあります。 

 
 指導力のない人ほど,「生徒から気に入られよう」と努力しています。

 そんな努力が何の意味もないことを,知っているのは生徒です。

 
 古い「毒」を制するのは,もっと強い「猛毒」です。

 これを身に付けた若い教師が,教育を変えることができるかどうか。

 「美化」された教育書を読むのは,大学1年生までで十分です。

 現実化が不可能な「理論」を知るのも,大学2年生までで十分です。

 何を知らなければならないかというと,それは教員の現実の指導力の有り様です。

 教育現場では何を見なければいけないか。

 
 心の奥に,毒を潜ませて,足を踏み入れて下さい。

 天使と悪魔は表裏一体です。

 天使の心をもって悪魔の目で見,悪魔の心をもって天使の目で現場を見ましょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より