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「忙しさ」の意味が分かっていない小学校教師

 shiraさん,コメントありがとうございました。
 
 このブログへのコメントをいただく方はとても限られているので,とても貴重なご意見ありがとうございました。

 そして,私の「思った通り」のことを指摘いただいて,これにも感謝しております。

 小学校には,とても真面目な先生が多いです。これは以前にも書きました。

 私は普通の小学校教師よりも,「数多くの小学校の現場」を知る立場におりました。

 どの先生も,真面目に,「仕事をこなそう」としていただいております。

 問題は,「教育という仕事」をどう捉えるか,ということになります。
 
*******************

 私も自分の個人的経験と見聞(伝聞ではなく見聞)から「小学校はひどく忙しい所」と結論づけさせていただきます。
 私はかつて、とある小学校の教頭先生のクルマに誤って接触してしまった際、連絡先を尋ねたところ「単身赴任で自宅にいる時間があんまりないんで電話場号覚えてないんだよ」と言われました。で、翌日勤務先に電話をして詫びのために出向いた所、夜の8時過ぎであるというのに職員室には何人もの先生方がいて当たり前のように仕事をしていました。
 それと、小学校は朝が早いです。私の地区だと7時前にはすでに生徒は登校を始めています。加えて小学校では「空き時間」も「昼休み」もありません。昼は給食指導の時間です。確かに教材研究は難しくないかもしれませんが、授業で使う教材の用意には労力が必要です。
 小学校が中学高校よりも恵まれている点があるとすれば、土日のクラブ活動が少ないことでしょうか。
 kurazohさんはどこの地区のどんな場所でそのような経験をしたのか知りませんが、少なくともそれを一般論にするのはやり過ぎでしょう。

*******************

 学校で時間を過ごす教師が多いのは,小学校も,中学校も同じです。

 でも,小学校の先生は,上の文章を読んでも「忙しくなさそう」なことは明らかですね。

 こういう感覚の教師が多いから,「教師のための時間術」なんて本が成立するのです。

 上の文章に,小学校の最大の問題が隠されているのをお気づきになれないでしょうか。

 小学校の教師たちは,「忙しいこと」が「嫌なこと」なのですね。

 だから,「楽できないか」と考える。

 「楽できないか」と考える「暇がある」のが,小学校の最大の特徴なのです。

 私は,

 小学生にはとても気の毒ですが,小学校における児童とは,大量生産の工程にある部品であることもよくわかりました

 と書きました。

 この意味をもう少し掘り下げる必要がありそうですね。

 最後に。

 小学校が中学高校よりも恵まれている点があるとすれば、土日のクラブ活動が少ないことでしょうか。

 「土日のクラブ活動が少ない」といっても,たとえば小学校で,1か月に6日くらい,土日に学校に行っている,という人は皆無でしょうね。この表現は果てしなく不適切でしょう。

 土日にクラブ活動のためにたとえば1か月に2日,児童を引率したり,学校で指導をしている教師は全体の何%でしょうか。

 それと,shiraさんは,中学校の免許をお持ちでも,絶対に中学校の教師にはならない方がよいですね。

 あなたは本当に「恵まれている」人なのです。

 だれが「恵まれない人」か,わかりますか?

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コメント

「忙しさ」の意味は,本当に様々なもの。
これをマイナスと捉える人もいるし,これがなければ生活できない,という人もいる。
・・・・ということをわかっている小学校教師はごく少数でしょうね。
もちろん,中学校教師にも,似たような人はたくさんいます。
しかし,「忙しさ」を通り越したところにいる人たちにとって,雲の下で視界に入らない,教師たちの暇つぶしは,見ない方が健康にもよい,ということですね。

 kurazohさん、ご丁寧に記事1本使ってのレスありがとうございます。私はこのように読み取らせて頂きました。
 記事の主題: 本当に多忙と言えるのは中学現場(だけ)である。
 その論拠:
 1 私はshiraよりも小学校現場をよく知っている。
 2 小学校現場には、効率化を思案するくらいの余裕はある。
 3 小学校現場の土日のクラブ指導は中学とは比較にならないほど軽微である。
 4 shiraは中学校現場がいかに大変であるか理解していない。
 5 教育という仕事は、規格化・効率化で片付けるべきものではない。
と、こんな感じでよろしいでしょうか。

 ただ、1つだけよくわからないことがあるのでお尋ねしますが、
 タイトルにある「「忙しさ」の意味がわかっていない小学校教師」って、誰の事ですか?

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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