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学力のことを本気で考えていない人たち

 分かりやすい話です。
 
 学力とは何か,という話を,辞書だの事典だのからしか持って来れない,「部外者」の人たちです。

 こういう人たちは,学校が存在するのは自明のことで,なぜ学習塾が存在するかが分かっていない。

 学習塾の存在理由が分からないような人間が学校現場にいるはずはないですが,

 自分より子どもが「頼りにしている人」が,学習塾という場にいることが許せない。

 時代遅れというか時代錯誤というか,学校がやるべきことを極端にせばめて考えている人たち。

 最も基本的なことすら身に付けていない子どもに不安を覚えている保護者に,

 「あなたの学力の定義を教えて下さい」などと質問する「あの団体」の教師たち。

 学力のことを本気で考えていない教師は,総合的な学習の時間の企画・運営上は完全な「部外者」だったのでしょう。

 本来は,これこそが「学力だ」というPRができたはずなのに,考えることすらしなかった。

 そのつけが,学力がつかずに悩んでいる子どもを前に「学力の全体像が知りたい」などという寝言のようなことを繰り返すような人間を生んでしまったことです。

*************

 学校現場は,現在,来年度の教育課程の編成のために最後の詰めをしているところです。

 全面実施となる中学校は,当然,昨年度と同じ,というわけにはいきません。

 学校なりの方針を示すときです。

 小学校は,今年度の教育課程の実施状況を踏まえて,どのような改善を図るかをしっかり検討しているところです。何に満足でき,何に不足していたか。

 学校の「学力像」は,教育課程に表されています。

 問題は,教師たちが自分の学校の「教育課程」を知っているかどうか。

 何が指導の重点かを言えるかどうか。

 学力とは何かを真剣に考えたことがない教師がいたとしたら,不安なところです。

 なお,学校評価の結果は公表されますから,その公表内容を見れば,学校として捉えている具体的な学力観も理解することができます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より