ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 組合の先生の一言を思い出させてくれたdolceさんの記事 | トップページ | 秋入学・東大合格者の「受け入れ先」 »

問題解決能力欠如の検証

 問題解決能力の要素を

 ①情緒的感動性
 ②実践能力
 ③知性

 の3つとして,どれか一つが欠けても能力は高まらない,ということにしておきましょう。

 ある学校での話です。

(1)合唱コンクールの自由曲を選定する

 【状況A】
 クラスとして、どんな曲がいいのか学級会が行われた。
 この時、生徒たちが持っている合唱に関する知識が問われることになる。
 日頃の音楽の授業で得たものがどのくらい、生徒のものになっているのかがわかる場面とも言える。
 すなわち、生徒たちの知性が問われる場面である。

 ①生徒たちは話し合いで、ある歌謡曲を自由曲として決めようとした

 この歌謡曲は,合唱の形態をしていない曲だったそうです。

 ということは,音楽の授業では,合唱に関する知識が得られていなかった,あるいは知識はあっても生徒のものにはなっていなかったことが分かります。

 生徒は,音楽の教師からは「知性を育てられていなかった」ということが結論づけられます。

 【状況B】

 学級会は生徒たちの自由な話し合いの場である。だから、自分たちの自由が反映できる機会として、それなりの盛り上がりがあり、本当に自分たちが歌いたいと思う曲を提案したと言える。

 ②担任は、合唱の形態をしていない曲の選定に反対した

 担任教師は,おそらく「コンクールで勝ちたかった」ため,合唱の形態をしていない曲は認めませんでした。

 問題解決の能力を発揮するには,教師に「受容的な態度」がなければいけないそうですが,この担任教師には,そんな態度は見られませんでした。

 さらに,生徒が本当に歌いたい曲を,合唱曲に編曲する「知性」を担任教師あるいは音楽教師が持っていなかったことも,確かとなりました。

 【状況C】

 教師が集団指導、つまり統率力を持って生徒たちを指導する場面である。指導力が問われる場面と言える。

 生徒たちは「先生は、自分の好きな歌を歌わせたいから、反対するんだ」と言って、担任と対立した。

 この担任教師は,生徒が「自分たちの自由が反映できる機会として、それなりの盛り上がりがあり、本当に自分たちが歌いたいと思う曲」を否定して,あくまでも合唱曲らしい合唱曲を歌わせるような「統率力」を発揮しようとしている,と思われてしまいました。

 【状況D】

 教師の指導と生徒たちの気持ちが対立した時、これを打開するには、木内氏の論文によれば「要求が集団の中へ浸透していくためには、集団の中に、教師の要求に答えてくれる者がいなければならない。核的な子どもである」とある。
 担任として、持てる力を出して、合唱曲とはどんなものであるかを説明したが、それが受け入られるかどうかには確信が持てなかった。
 ところが、ある一人の生徒が
 「そうか、合唱というのは、こういうのじゃなくて・・・」
 と言い出した。

 そもそも,合唱コンクールの自由曲の条件が,「合唱曲であること」というものであれば・・・音楽教師なり担任教師なりが事前に伝えておけば,こんな「要求を通す」手間は省けたのですがね・・・・。

 こんな場面にいたって,ようやく「合唱曲とはどんなものか」を口にするとは・・・。結局,「知性の欠如」を補う羽目に。

 音楽教師にも,担任教師にも,「実践的指導力」が欠如していたらから,「要求をのんでくれる核的な子ども」を探さなければならなかったのです。

 【状況E】
 
 すると、その彼の意見に生徒たちの注目が集まった。
 そして、自由曲については考えなおそうというということで、この時間は終わった。
 私としては、生徒たちが意図を汲んでくれるかどうかに自信はなかったが、一人の生徒の発言に救われた形となった。

 「統率力」とかいう立派な言葉を使いながら,「自信がない」「一人の生徒の発言に救われた」なんて情けない。
 早い話が,この「一人の生徒」が存在しなければ,どうなっていたのでしょうね・・・。

 【状況F】

 意見を言った生徒は、ツッパリ気味の生徒であった。
 なぜその彼が意見を言ったかは、受容の認識があったからかも知れない。
 それは、ある時「先生、この組の中で嫌いな子がいます?」と、ある女子になんとなく聞かれた時「みんな好きだよ」と私が答えたのが、信じられないという気持ちで噂を呼んだことが影響しているのかも知れないと思った。
 それは、生徒たちにとっては、ツッパリのような生徒は、当然、先生は嫌っていると思っていたからかも知れない。それで、意見を言った彼としても、自分は先生に容認されているのだ。先生は生徒の気持ちを汲み取ろうとしているのかも知れないと考えたのかも知れない。

 あべこべ。

 【状況G】

 (2)生徒たちは話しあって、自由曲を考えてきた
 生徒たちは、合唱コンクールでは合唱の形態をした曲でなければならないとの認識(知性の向上)で曲を考えてきた。
 考えてきた曲は、合唱の中の合唱と言えるオーソドックスな曲で、芸術的にも優れたものだった。
 私は歌謡曲でも合唱の形態をしていればよいと思ったが、前とはずいぶん違う傾向の曲を選んできたのに驚いた。

 ここで担任=音楽教師=「私」だったことが判明。

 普段の音楽の授業で合唱の意味が分かっていれば,そして,事前指導がきちんとしていれば,ここから話は始まるはずだったのです。

 知性の向上? やっと知性のかけらが見え始めた,といったところでしょう・・・。

 【状況H】

 ここに至るまでに、生徒たちはずいぶん話しあったようだった(知的活動)。ここでは、クラスの集団の向上と子ども自身による問題解決の行動がみられたと言ってよいだろう。

 子ども自身による問題解決ではないのですね。

 「私」が「これではだめだ,合唱曲にしろ」と言った。

 だから,合唱曲を選んだ。それだけのこと。

 問題の発見を,子ども自身が行うこと。

 これが問題解決能力をつけるために欠かせないことです。

 以下,省略。

 教師から指摘された誤りを正す能力を,「問題解決能力」といってしまっては,その範囲があまりにも多くなってしまいます。

 こういうエピソード及びこれに無理矢理「問題解決能力の検証」をあてはめようとすることで,問題解決能力を検証するという「問題解決」を行う能力が欠如していた証明になってしまいました。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 組合の先生の一言を思い出させてくれたdolceさんの記事 | トップページ | 秋入学・東大合格者の「受け入れ先」 »

教育」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 問題解決能力欠如の検証:

« 組合の先生の一言を思い出させてくれたdolceさんの記事 | トップページ | 秋入学・東大合格者の「受け入れ先」 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より