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dolceさんの大矛盾

 指導のインチキがバレてしまうと,生徒は教師の強制を無視することができるようになります。

 それ以上に困るのは,指導すべき生徒を無視できてしまう教師が増えることです。

 さて,dolceさんの矛盾はごまかしのきかない方向へと進んでしまったようです。

 *** dolceさん語録 ***

 私は何度も言っていますが「学力とは何か」について、我が国の教育制度では明らかにしていません。
 だから、あちこちで学力云々と語っているのは、個人が勝手にイメージしている学力に過ぎません。
 そういうてんでバラバラな解釈の学力を公教育が聞き入れて、教育に取り入れることなどできないのです。

 →

 周知の通り、文部科学省は学習指導要領を発行しています。
 文部省が学力について言及しているのは次のところです。
(該当箇所略)

 →

 この度の指導要領改訂に際し、私は全く新鮮味を感じないのは「そんなこと、とっくに語られていますよ」ということ「すぐれた理論があるのに、実践しなかっただけではないのですか?」と言いたいわけである。

 *** 矛盾点及び誤り,不十分な点 ***

 新しい学習指導要領に新鮮味を感じない=その理念はずっと前から分かっていた・・・のに,・・・私は何度も言っていますが「学力とは何か」について、我が国の教育制度では明らかにしていません・・・と言ったことや,「基礎的・基本的な知識・技能の習得」以外の大切なことを重視した指導について指摘できなかったため,…ブログの趣旨を満たせなかったこと。

 「すぐれた理論があるのに、実践しなかっただけではないのですか?」とは,自分のことか,というのは置いておき,その理論(この妥当性が証明されてこその「理論」なのでは?)として

 問題解決能力の力をつけるためには①情緒的感動性②知性③実践能力の3つが要件であり、このどれ一つが欠けてもよくない

 というものを紹介し,

 これを見ると、今回の学習指導要領の意図を汲んだものという感じは受けないだろうか。
 
 と書いていますが,そのような能力については「事典」が出版される以前から学習指導要領には示されており,完全に的外れの指摘であること。

 現場の教師であったにもかかわらず,

 私は音楽が好きで、楽器も演奏するのだが、上達するためには我流ではダメで、正しい理論、伝統に基づいた指導を受ける必要がある。

 という抽象的な・・・中身がない,「当たり前の固まり」のような・・・説明だけを書いて,「音楽の指導に悩んでいる現場の教師に心をこめて,具体的な指導法や実践に役立つことがら」というブログ本来の「あるべき記事」は見られないこと。

 *** 矛盾しない点 ***

 この人は指導者としては有能ではないなと感じる時は、その人の言葉が常に抽象的な説明に終わっている時です。

 つまり・・・

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より