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dolceさんの逃走ルートの危うさ

 dolceさんにとっては避けるしかない話題だということはわかっていたのですが,「学力」を「問題解決力」の方向へ拡大解釈することによって,学習指導の面にふれなくなっていく,・・・生徒指導の話にすりかえていく,というのはあまりにも予想通りで?残念なことですね。音楽の先生でも,学習指導に詳しい人はたくさんいるのですが・・・・。

単に知識を記憶して脳に留めておくだけ、あるいはそれを試験で記述するだけでは学力としての力を持たないと思う

というdolceさんのコメントから,今まで「頭を使う問題」に出会ったことがないのだ,という哀しい過去を垣間見ることもできます。

 dolceさんの集団指導の問題点は過去にふれており,dolceさんも記事で反論されていたのでくわしくはふれませんが,もし以下のような主張を強くすると,自分で自分の首をしめることになる可能性があります。

*******

 教師に求められる指導とは、教師自らの知性も必要であるが、集団をまとめる力、すなわち統率力が大切と考えられる。

 こう考えてくると、学級崩壊など秩序の乱れは、子どもの躾は大きく影響するところであるが、教師の統率力の低下も考えられるのではないかと思う。

 荒れた学校、荒れたクラスなど秩序の破壊された集団を立ち直らせたという実例は、みな教師の優れた統率力と言ってもよいではないか。

*******

 一見,何気ない当たり前のようなことを書かれているようですが,ここにいくつかの落とし穴があります。

 まず,「統率力」は,すぐには育たない能力であること。

 次に,「統率力」の中には,「メンバーの個性を殺したり,リーダーに過度に心酔させたりすること」で成り立つたぐいのものもあること。

 さらに,「統率力」のある人が必ずしも別の人の「統率力」を育てられるとは限らないこと,も心しておくべきことです。

 荒れた学校が立ち直るのは,「教師の優れた統率力のおかげ」ではありません。

 表面上,落ち着いた生徒の状態をさして,「立ち直った」と勘違いする教師がいますが,案の定,「こわい人」がいなくなるだけであっという間に学校が荒れ出す・・・というか,隠していた姿があらわれるだけ,ということになる学校が多いのです。

 荒れた学校が「立ち直った」と言えるようになるのは,教師の統率力ではなくて,子どもの統率力を育てることに成功した教師の指導力があってこそなのです。

 子どもに統率力がないのに,「教師に指示が受けられない場合,何かあったら学級委員の指示に従え」という命令を下すような教師では,「無責任な人」にしか思われないのです。
 
 さて,dolceさんからは何が飛び出してくるか。

 かなりじらされているので,本当に待ち遠しいです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より