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35人学級になっても何も変わらない?

 学校現場に足を運んでいらっしゃらない方はよくわからないかもしれませんが,今,小学校の1学級の平均児童数は何人だと思われますか?

 「○○県 小学校 学級数」 と検索していただければ,よくわかります。

 埼玉県だと31人,東京都千代田区は30人未満でした。

 35人学級というしばりをつくると,困るのは,いつも定員いっぱいにとっている国立学校などです。

 国立学校は入学希望者が多いわけで,40人でもよい,と考えている教師や子どもが多いのなら,それでもいいじゃないか,という人がいる。

 いやいや,研究校として,現場の参考になる少人数でできる教育実践を行う必要がある,という人もいます。

 しかし,実態として平均が30人以下なのだから,今までも「参考になる教育実践」といったら,それは「40人でもできること」であり,今までが参考にならなかったのか,という話になってしまいます。

 そもそも「集団指導」(「一斉指導」に「グループ別指導」も含む)を重視している日本では,25人でも,30人でも,35人でも,40人でも,極端な話5人でも,教師のやることは同じようなもの。

 私は子ども2人のクラスで,黒板を使って行われる授業をみたことがあります。

 何が変わるか?

 個に応じた指導の機会は本当に増えるのか?

 あまり期待できない,というのが,正直な思いです。

 驚いてしまうのですが,教師は「数人」を対象に授業をすると,その能力(「各児童の学習状況をみとる能力」)が手に取るようにわかってしまいます。

 このへんが,「塾の先生に負けている」という実態を示している部分かも知れません。


 繰り返します。

 現在の1学級の平均児童数は,35人以上ではない。

 35人学級になって,「変わる」のは,定員いっぱいにとっている学校だけの話。

 そこの「競争率」が高まるだけの話。

 36人の入学生が入れば,1クラスではなく,2クラスになり,1学級18人のクラスができる,というだけの話。

 1クラスの人数が30人以下,実践は普通に行われているという話。

 で,そういうクラスではどういう成果が出ているのか,というデータは,学力調査の結果で,でるのか,でないのか。という話です。

 こういうデータは,自治体ごとに出せますね。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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