ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 家政婦のミタ 学校現場で問われたら? | トップページ | 家政婦のミタ に見る教師の適性 »

家政婦のミタ 真似できない教育観

 体罰容認。

 心に深い傷を負った人は,何でもやらかせる(殺人も)という人間観。

 死にたい,という人を死なせてあげようとする姿勢。

 言うことを聞かない子どもは,家から追い出す厳しい態度。

 
 教育現場で(なくても,もちろん,実生活では)なかなか真似はできないことですが,「そこまでして初めて相手を変えられる,心を動かせる」というメッセージは,教育現場にどう響いてくるでしょうか。

 テレビを通して(さらにはインターネットを通じて),こうした強い刺激が子どもたちにもふりまかれている一方で,現実の社会生活は,平々凡々とした毎日が繰り返されていく。


 テレビ慣れした子どもたちは,卒業式のあと,最後の別れの場面で「この人,どんなことを言ってくれるのか」と期待するようなところがありましたが,私の場合は照れもあったので,写真をとっただけで事務的にサヨナラしました。

 「要求」は,どんどんエスカレートしてくる。

 テレビでは,実現していることがたくさんあるから。

 実際の生活でも,それを求めようとしている。


 勘弁してほしいと思うかたわら,「本当に相手のことを考えている,ということを伝えるには,どうしたらよいか」を真面目に考えざるを得なくなります。


 始まって5分間で,いえ,1分で,もう打ち切りにしたい教育実習生の授業がありました。

 もし,「もうやめなさい」と言って,代わりに授業を始めたら,その大学生はどうなりますかね。

 生徒の前で,「続けさせて下さい」と訴えるか。

 「すみませんでした」と言って,あっさり授業をやめるか。


 生徒のことを考えると,そもそも教育実習生に授業をさせることが間違っている,なんてことになってしまう。

 あるいは,教員免許をとろうなんて気持ちをなくさせることが,最もその大学生のためになり,万が一間違ってその人が教員になり,子どもが不幸になることを防ぐことができる,ということになる。


 それでも実際上は,低い評価しか出せないことがわかっていても,教育実習生の授業は続く。

 指導力不足教員の授業は続くのです。


 「家政婦のミタ」の,「教師改造」版はできないか,とちょっと考えてみましたが,ダメ親ぶりは公にできても,ダメ教師を公にするのは,なかなか厳しいでしょうか。

 あしだまな演じる「笑わない児童」が,ダメ教師たちを目覚めさせていく・・・ある人は現場を去り,自分が生き生きできる職場で働き,ある人は本当に変身できて,最後にあしだまなが「ほほえむ」・・・どうも気分が滅入っていきます。
 
 
 私が受け持っている大学の学生は,厳しい指導に耐えられているのですが,他の学校の先生にお聞きすると,もう授業を打ち切るどころの話ではない学生もいるようです。

 どこがどうダメなのかを,学べる場所がないんですね。

 もし「家政婦のミタ」が同姓のあのおばさまだったら・・・あの家族はどうなっていたのでしょう。

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

« 家政婦のミタ 学校現場で問われたら? | トップページ | 家政婦のミタ に見る教師の適性 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

家政婦のミタ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 家政婦のミタ 真似できない教育観:

« 家政婦のミタ 学校現場で問われたら? | トップページ | 家政婦のミタ に見る教師の適性 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より