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良い学校とはどのような学校か

 教職を志す皆さん,もし面接試験で,

 「良い学校とは,どのような学校のことですか」

 と問われたら,どう答えたらよいと思われますか。


 dolceさんという「教育に情熱をかける教師のために」(教育ブログ)の管理人さんは,

 「良い教師」がいて,「良い施設」のある学校のこと

 で,だから東大はよい学校,ということを以前に書いていました。


 もし面接でこう答えたら,二の矢が飛んできます。

 良い教師とはどのような教師ですか。よい施設とはどのような施設ですか。

 これに答えられても,結局,「良い学校」とは何かには答えることができません。

 
 「良い学校とは何か」という問いは,小学校教師にとって苦手な分野なのでしょう。

 
 小学校の教師というのは,中学校の教師と比べるとはるかに大学の教師に近いタイプの教師です。

 小学校や大学が,個人プレーで成立しやすい職場だからです。

 場所によっては,「それしかない」とも言える。
 
 
 だから,信頼されない教師というのは,小学校の場合,たいてい「個人としての力量に乏しい教師」のことをさしていることになります。

 これが中学校だと,「個人としての力量が優れている」からこそ「信頼されない」教師も存在します。

 その意味が分かっていたら,「良い学校とはどのような学校か」と聞いてきた理由が分かるはずです。

 
 もし面接試験で,「良い学校とは」と問われたら,これは「個人」としての教師が集まる場所としての「学校」のことをさしているわけではないことを悟り,「組織」とは何かにふれる必要があるのです。

 ・・・でも,働いた経験もない人に,「組織とは何か」について答えられるでしょうか。

 答えられなければなりません。
 
 「組織の中で動いてきた」実感がもてる人間を採用したいのです。

 民間人を教師として求めようとする発想はここから出てきます。

  
 学級集団も,生徒会も,部活動も,組織です。

 こういう組織で「組織とは何か」を学んでくれてきたとしたら,願ってもない資質をもっていることになります。


 教師には,個人で動く能力は高くても,組織の中で力を発揮できない人がいます。

 人は個であるときと,集団であるときとでは全く異なる資質や能力を必要とします。

 
 個としての能力は個人で高められますが,集団としての能力は集団の中でないと高まりません。

 教育実習では,先生方の「連携プレー」・・・できたら,保護者との連携,子どもとの連携など,さまざまな「相互促進効果」を体感し,その良さを「良い学校」の具体的な姿として言葉で表現できるようにしましょう。

 本で読んだ知識を披露するだけでは,すぐにバレます。

 そういう意味では,「良い学校」で教育実習を行う,というのもとても重要ですね。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より