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家政婦のミタ に見る教師の適性

 教育の「失敗」を引き起こす原因を見逃せない私が,やりとりの末に「コメントを入れられなくなった」教育ブログが2つあります。

 はじめのうちは相手も私の質問に答える余裕があったのですが,途中から放棄せざるを得ない状況になりました。
 
 コメントのやりとりは,不特定多数の人が読めますから,自分の分が悪くなってくると,「言い負かされている状況の公開」になってしまうので,自身の「教育ブログ」としての格好がつかなくなってくる。

 一人は,「嘆き節」専門。

 もう一人は,「ずれ」専門。


 こういう「自分は絶対的に正しい」型人間は,辞書で言葉の意味を引いてきたり,本に書いてあることを引用してきたりと,「幼稚な信頼性の向上」を図ったりもするのですが,そもそもこういうタイプの人が,教師には向いていない。

 実態から逃避する手段としての「本」の活用。

 「運用」という任務遂行技能の欠如。


 相変わらず,「認識不足」の記事ばかり書き,まるで自作自演の「提灯コメント」がついている。

 自作自演でない場合は,「似たような教師」のブログからのトラックバックがついている。

 これから教師になろうとする人が,絶対に参考にしてはならない人たち。


 
 視野が狭すぎて,批判されたこと自体に腹を立て始める。

 自分の誤りや嘘を認めない。

 都合の悪い質問には答えない。

 自分は正しいことを言っていると信じている。

 
 こういう人,ある意味では「行政」に非常に向いているとも言えますが,教師には絶対に向いていない。

 子どもからもすぐに「見下される」存在になります。


 人から評価されることを極端に嫌う。

 低い評価に耐えられない。

 こういう人は,もはやあらゆる職業に向いていません。

少なくとも,人に「何かを教える」職業は,無理です。

 自分は「安全圏」にいて,教える相手を「評価するだけ」なんて・・・。


 「家政婦のミタ」のように,自分なりの「解釈」を絶対的な自信をもって述べるのはいいのですが,それは「異論」もでないほど完璧なものでなければなりません。

 そもそも「異論」が出て当然の主張をしながら,「異論」は受け付けない。

 
 欠陥だらけの教育論はこのブログには最高の題材ですから,どんどん取り上げたいのですが・・・。

 
 家政婦のミタを堪能した人たちによって,「見直されるきっかけになる教師」が増える一方,「見限られる教師」も増えてしまうことでしょう。


 一方には,批判に耳を貸さないタイプ。

 もう一方には,批判にただただふりまわされるタイプ。

 
 批判に耳を貸さない,というのは一見,「ブレのなさ」を示しているように見えますが,それは「公務員」ができる態度ではありません。

 
 家政婦のミタのような資質が教師には必要なところがあります。


 議論中に感情をコントロールする力。

 ぶれない信念。教育への使命感。


 ぶれにぶれている子どもや親,教師に自分の位置を正しく認識させるには,相手の自分がぶれてはなりません。

 家政婦のミタの安定感が必要です。

 そして,相手の成長を見極めて,「笑ったり」「泣いたり」「怒ったり」すればよいのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より