家政婦のミタ にみる「子どもに背負わせているもの」
教育がからんでいるドラマの脚本で一番気にかかるのは,脚本家の「子ども観」です。
「よい子ども」のイメージが,いかにもステレオタイプです。
「中学生日記」の終焉もきっかけにして,そろそろ「新しい」子ども像を提供してほしいものです。
「家政婦のミタ」では,愚かな大人たちと好対照になるように子どもたちの振る舞いが設定されていますが,子どもたちによる家政婦のミタへの「執拗な励まし」は,もう常識の範囲を超えています。
フィクションだからこそできることで,それで「ウケる」のですが。
ただ,このような大人による「子どもの利用」の方法が,私には非常に気がかりなのです。
あれほど「強さを維持できる」子どもは滅多にいないでしょう。
子どもはもっと深い傷を背負うことになるはずで,そういう傷を背負った人たちが,おそらく「子どもを窓から投げ落とす」ようなことができるようになっていくのでしょう。
子どもには大人以上に深い傷が残る可能性のある弱い存在であるのに,「そういう傷を深く負う」のは大人の特権だと誤解し,子どもは「何も考えなくてよい」「何も感じなくてよい」というメッセージを暗に送り続けているようなドラマに思えてしまいます。
大人よりもあっさり立ち直って,大人の心配をしている子どもをしっかり描いているのですから。
「深く苦しむ大人が,その状況によって子どもを苦しませることには,鈍感であってよい」というメッセージも,伝わってきます。
すでに様々な声が寄せられていることと思いますが,視聴率が高い,つまり影響力が強いドラマの場合には,それが「社会現象」になっていく,ということは過去にもありましたので,邪推してみました。
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