ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 家政婦のミタ すでに死んでいた「家政婦のミタ」 | トップページ | 家政婦のミタ 真似できない教育観 »

家政婦のミタ 学校現場で問われたら?

 恵まれた時間枠ではないのに,あれだけの視聴率を残した「家政婦のミタ」。

 もし教師が,教室で「先生,家政婦のミタ,見た?」と問われたら,どうしますか。

 
 まずは,

 「それは業務命令ですか」と返す?

 「そうです」と言われたら,

 「承知しました」と答える・・・のがセオリーでしょうか。

 もう実行している教師もいるでしょう。

 
 小学校のように一日中一緒にいなければならない教師は,「話題についていけない」のがネックになっていくでしょうから,テレビドラマへのアンテナもはっておく必要を感じていることでしょう。(小学生が見るテレビドラマにしては,時間帯が遅すぎる。だから「録画でみなさいね」というのもお忘れなく)

 
 小学校の教師になろうとする人たちにお伝えしたいことは,「子ども」にとっての「教師」とは,「家族の一員ではない」「他人」であることをしっかりと自覚してほしいということです。

 子どもを研究の道具にする教師がいる一方で,わがままに抵抗できず「都合のいい教師」「甘い教師」に成り下がる人が後をたちません。

 
 「家政婦のミタ」のように無表情になる必要はないのですが,教師の中には演技じみた「子ども大好き人間」がいます。醜悪の極みです。

 「家政婦のミタ」のように,「死にたい」と言っている人を殺そうとすることも許されないのですが,「死にたい」と訴えてきた子どもから,原因を根掘り葉掘り聞き出そうとすることも許されません。

 
 「家政婦のミタ」から学べるのは,「一線を画す」姿勢。


 コメントにも,それが必要です。

 
 いじめを深く理解していない子どもには,「心の傷は,簡単には癒せないことがわかった。だから『いじめ』を今まで以上に許せなくなった」と伝え,

 親の愛情に飢えている子どもには,「親も愛情に飢えていることがわかった。愛情に飢えると,愛情からほど遠い行動をとるようになり,ますます愛情を失っていく。優しくするとか,願いをかなえてあげることが本当の愛情の表現ではないのだ」と伝え,

 人の言うことをハイハイきいてしまう素直な生徒には,「承知しました,という言葉の使い方がわかった。あなたはその程度の人間なんですね,それで本当にいいのかどうか,思い知らせてあげます,という意味でも使えるのだ」と伝え,

 教師という職業の存在理由に気づかせます。

 それが伝えられない現場からは,将来の「よい教師」は生まれてこないでしょう。


 最後に,テレビに出演する女優も男優も,子役も,選りすぐり中の選りすぐり,何万人分の1の人物が演じているので,成立するのがテレビドラマだ,ということも付け加えます。

 金八先生のときも,どんなに荒れた学校を再現しようとしても,私にはどの中学生役の子どもも,「台詞がきちんと覚えられる優等生」にしか見えませんでした。

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

« 家政婦のミタ すでに死んでいた「家政婦のミタ」 | トップページ | 家政婦のミタ 真似できない教育観 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

家政婦のミタ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 家政婦のミタ 学校現場で問われたら?:

« 家政婦のミタ すでに死んでいた「家政婦のミタ」 | トップページ | 家政婦のミタ 真似できない教育観 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より