教育現場でチェック機能が働かない理由
学校評価の項目の中に,各分掌の業務で「いくつ失敗があったか」「その失敗について,どのような対処をしたか」「その対処の結果,業務はどのように改善されたか」の三つが入っている学校はあるでしょうか。
おそらく皆無でしょう。
学校評価の項目の中に,「そんなこと,そのときに判断して行動していないとおかしいでしょう」と思えるものはいつくあるでしょうか。
「やるべきこと」「改善されておくべきこと」がどんどん先送りされていく。
やるべき人が,やるべきときには,すでに異動していない。
やるべきときが来ているのに,異動したての教員には,なぜそれをやるべきなのか,どうしてそれをやることになったのか,などの情報が伝わっていない。
そんなことも起こっています。
本当に必要な「学校評価」がなされていない背景には,
「失敗を失敗と認めようとしない」
教師個人個人の意識が背景にあります。
「和を乱す」「やる気をなくす」
なんていう中学生のような理屈から,「失敗状況を無視する」ことが常態化しているのです。
総括の意味で12月とか年度末に行う学校評価とは,そのときそのときの短期的な評価を踏まえた改善に向けた動きと改善後の状況を確認するものです。
「失敗状況を無視する」教育現場には,そもそも学校評価に値するものは存在しないのです。
教職につこうという人は,学校現場にひそむ「悪しき伝統」を見抜き,「改革」を遂行していく気概をもってほしいと思います。直観的に,「間違っていること」には気づいていくと思います。
・・・その前に,今,大学や大学院で受けている(?)授業や学んでいる自分の姿勢を「評価」してみてください。
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