大学では習得できない教師の資質
大学で習得できない教師としての資質の一つに,「生徒指導の能力」があります。
私の同世代か,それより上の教師たちには,保健体育の教師でなくても,大学時代に体育会で過ごした人もたくさんいました。
最近の若い人には(私の身近だけかもしれませんが)そういう人がいないので,あるとき人事部の方に「体育会出身者はわざと採用しないようにしているのですか」と冗談まじりにうかがったことがありました。
部活動の指導がまともにできない教師が増えてきて,中学校現場としては「人材不足」に悩んだという経験が複数校でありました。
部活動の指導ができないなら,まだいいのです。
そもそも,生徒指導,生活指導というものの意味が分かっておらず,それができないがために学習指導が成立しなかったり,道徳の授業もできず,特別活動の指導もできず,ましてや総合的な学習の指導などはまかせておけない・・・今の50代教師の若い頃の時代のように,生徒数が多く,同僚も多かった時代には,教師たちの「学び合い」ができましたが,同世代の同僚が少なく,そもそも学校が小規模化して,大きな規模の生徒の動かし方を全く知らないまま経験年数だけ重ねるような教師が増えている現状です。
コミュニケーション能力が足りないことが話題になるのは,教師に限らず,新卒社会人全般の傾向のようですが。
教師には,1対1のコミュニケーション能力ではなく,自分対40人とか,自分対200人のコミュニケーション能力が必要になります。普通の大学生活では,そういう大人数とのかかわりは存在しませんね。
大学でちゃんと授業に出て模擬授業などをしているような人には,OECDの「コア・コンピテンシー」の重要部分が身に付かない「教育」しか受けられないでいるのが現状です。
学習指導の前に,生徒指導のあり方を習得するのが教師の仕事の第一歩です。
しかし,大学生が指導を受ける大学教師というのは,いわば学習指導の専門家(?がつく人も少なくないですが)。私が知っている現場経験のある大学教師は,学習指導の能力はあっても生活指導の能力に欠ける人が多数派です。あくまでも私の知る範囲ですが。
教室で独り言を教師が話しているだけで,だれも学んでいない授業をし,テストの点が悪かったりすると「聞かなかった方が悪い」と開き直るような教師には,「生活指導」が必要になります。
そういうことで言えば,この世で最も「生活指導」が必要なのは,大学の教師ということになりますでしょうか。
現場の教師で言えば,そもそもの「前提」がおかしい人が目立ちます。
部活で遅刻してきた生徒に注意して逆ギレされ,「開始時刻を何時にしたらいいか,話し合いで決めろ」なんていう異常な指導ができるだけでなく,それを公衆の場に堂々と晒すようなことできる人を探そうと思えば,教育ブログというのはサンプルの宝庫です。
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