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教師に向いていない典型的な人

 いつまでも「根に持つ」タイプの人は,教師には向いていません。

 教職を希望している方は,参考にして下さい。


 教育ブログには,「根に持つ」タイプの教師がたくさん参加しているのがよく分かります。

 徹底してこういうタイプの教師を糾弾していくこと,「改心」させることが,学校の正常化に結びつきます。


 問題行動に対する生徒指導では,生徒に対する「復讐心」を持ってはいけません。

 正義感に強く,融通が利かない,警察官の方が向いているような教師の中に,生活指導の能力が乏しい人が目立ちます。

 「行動を許せない」という意識よりも,「人間を許せない」という意識の方が強くなってしまうと,子どもとの「会話」が成立しなくなります。

言葉が通じなくなるのです。心が通じない,という「かっこいい」表現は使わない方がいいでしょう。

 言葉が通じていないのです。


 自分の思い通りにいかなくなると,ますます自分ではなく,問題行動を起こした子どもを責めるようになります。

 このような悪循環にはまり,問題が長期化したり,深刻化したり,潜在化したりするようになるのです。

 
 私の経験ですが,「坂道を転がり落ちる」最初の状況に立ちあうことができた学校がありました。

 「生活指導が厳しい」というので評判の「いい学年」の「表面だけ」を真似しようとした学年が,崩壊への坂道を転がり始める,というのは,決して私がかかわった学校だけの話ではないと思います。

 「厳しくすればいい学年になる」なんて,普通の感覚ではあり得ない方向性を選択した学年には,「指導すればするほど悪くなっていく」という泥沼の時間が待っていたのです。

 子どもの悪口が多い学校や学年には,未来はありません。

 
 「いい学年」でも,「子どもの悪口」が登場する場合はあります。しかし,その会話は,「笑いながら」なされます。

 「困った学年」の特徴は,真剣な表情で「子どもの悪口」を言い合うのです。

 
 そういう学年には,必ず複数の「根に持つ」タイプの教師が紛れ込んでしまっています。

 本当に恨まれるべきなのは,「根に持つ」タイプの教師であり,

 恨むのは,こういう「教育の真実」を知った子どもたちなのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より