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教師の学歴について

 教員採用で関係がある「学歴」は,大学卒か大学院卒か,ということくらいです。

 大学がどこであるか,というのは問題ではありません。

 教員採用試験の予備校のような大学卒でも,差別されることはありません。

 逆にいわゆる「偏差値が高い」大学だと,教員になってから逆差別を受ける可能性はありますが。

 (ネット上では,文系の大学院生というのは教員採用試験に落ちた「落ちこぼれ」というレッテルが貼られているようで,お気の毒なことです)

 
 教員になったら,重視してほしい「学歴」とは,「学習・研究歴」のことです。

 教員になってから何をどう学んできたか。

 こういう「学歴」に関心をもってほしいと思います。


 ただ,一度,公務員になってしまうと,そういう「努力」からいっさい無縁になる人がたくさんいます。

 研修というと「めんどくさいもの」になってしまうのです。

 免許更新講習を本当に「めんどくさそうに」受ける人を目の当たりにしてきました。
 (どちらかというと「熱心」な人が多いのが救いですが)


 法律で定められているから研修するのではなく,研修したいから研修する。
 
 そういう「向上心」は自分の受けてきた教育の成果なのか,現場で子どもと切磋琢磨して得られる「教育欲」がもとになっているのかはわかりません。

 こういう意欲がわくことは,教師としては大事な資質です。


 dolceさんという「教育に情熱をかける教師のために」(教育ブログ)の管理人さんは,おもしろい「学歴観」をひろうしてくれています。

 彼によると,「人の脳の発達は21歳頃を頂点」とするそうで,

 「若い頃は優秀であったとしても、中年頃では頭は退化」する人がいるそうです。

 これが,「学歴をあてにしない理由」だそうです。

 こういう人にとっては,大卒くらいの年齢では「学歴」が重要だということになります。

 「優秀な大学を出た人」を「高卒の人」より「優秀だ」と見るのは明らかで,こういうのを学歴差別というのです。気をつけましょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より