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教師の「使命感」について問われたら?

 「使命感」について,直接的に面接官から問われることはないのでしょう(いろんな質問への答えの内容や答え方から,使命感をもっているかどうかは判断されますから)が,万が一,問われたら何と答えますか。

 あなたは,教師としての「使命感」は強い方ですか,弱い方ですか。


 「強い方です」と答えさせるための誘導質問ですね。

 
 「どうして強いと言えるのですか」


 「研究意欲が旺盛です」


 「どのようにして研究しているのですか」

 
 「優れた先生の授業を見学したり,本を読んだりしています」


 「あなたは,優れた先生の授業を見学したり,本を読んだりしている先生は,使命感がある先生だと思っているのですね」

 「そうです。授業を改善させようとする意欲があるからです。」


 「あなたが考える教師としての使命感は,そんな程度のものなのですか」

 「・・・」

 ふりだしに戻りましょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より