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「ゆとり教育は失敗したか?」という疑問文の過ち

 教育ブログの中には,「何も分かっていない人たち」による世迷い言があふれています。
 
 現場感覚のない人間の最大の欠点は,辞書に書かれた言葉の意味や

 ウィキペディアに書かれたことで理解したつもりになっていることです。

 教育学者やマスコミがいかに一面的であるかは,いちいち説明するまでも

 ないでしょう。

 マスコミも,マスコミに利用される教育学者も,「分かりやすいこと」を示す

 ことが使命ですから。


 「分かりやすさ」に飛びつく人間をこれ以上増やさないこと,

 これが「ゆとり教育」の目標にかなうことですから,「ゆとり教育」が始まる

 以前から失敗してきた教育を,どう軌道修正できたか,という問いもあり得ます。

 さて,「ゆとり教育」の評価をする場合に,大切なのは,

 「ゆとりの中で~の力をつける」

 の「~の力」がつけられたかどうかを考えることです。

 つけられたのなら,

 その効果を高める方法は何だったのか,

 そのようにふり返らなければなりません。


 「~の力」がつけられなかった,のならば,

 なぜ「~の力」がつけられなかったのかを分析して,

 その力をつけるための工夫をしなければなりません。


 「ゆとり教育は失敗したか?」のような寝ぼけた問いを

 発する人の中には,おそろしいことに,

 「ゆとりの中で~の力をつける」ために

 「何をしたのか」

 が言えない人もいるでしょう。

 それでは,そもそも評価すらできないのです。


 私が観点別学習状況の評価に批判的なのは,

 その観点の評価ができる学習指導や学習状況
 
 が見られないのに評価してしまっていることが

 大きな理由の一つです。
 

 
 中学校からみれば,小学校というのは

 子どもの学習環境も,

 教師の教育の環境も,

 子どもと教師の関係(40対1)も,

 学習指導要領の見直しにかかわらず,

 つねに「ゆとりに満たされた」ものです。

 
 ですから,「ゆとり教育は失敗したか?」

 という問いが,

 「小学校教育は今までどうして失敗し続けてきたのか」

 という意味で使われるのなら,よい疑問文なのです。

 
 一度,小学校教師の「嘘のない」週案とか,

 子どもの「学級日誌」の公開を進める「開かれた学校」を
 
 つくってみると面白いことになります。

 
 「ゆとり」を時間的なゆとりとしか考えていない人には,

 朝7時に出勤して夜11時まで学校で働いている中学校教師の

 1日に密着してもらえると,いろいろなことが分かってくると思います。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より