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分かっていないからこそのものの見方

 相手が「スゴイ人」とは知らずに話をする場合と,相手が「スゴイ人」と知って話をする場合とでは,当然,態度が変わってくるでしょう。

 こういうとき,相手のことを知っていた方がよかった,という場合と,逆に知らなくてよかった,という場合があります。

 普通は,話し始めると「スゴイ人」というのが伝わってしまうものかもしれませんが,それが伝わる人と,伝わらない人がいます。

 あるいは,「スゴイ人」であるのを相手に分からせてしまう人と,分からせない人がいます。

 本当に「スゴイ人」とは,どのタイプの人でしょう?


 
 世の中には,ことの本質が分かっていない人がたくさんいます。

 教師としては情けない話ですが,ことの本質が分からない人には,何をどう説明しようが分かるようにはなりません。

 分からないことにかけては天才的というか,無敵の能力を発揮しています。

 カウンセラーなどは,そういうものだと相手を理解し,受容していればいいのでしょうが,教師というのはそうはいきません。

  何とか分からせようと努力します。

 ただしどんなに努力しても,その人への効果は全くなく,その意味では徒労に終わるわけで,「そんな意味のないことはしない方がいい」と思われてきますが,こういう努力をする大きな利点は何かというと,「そういう努力をしてくれる人なんだ」という理解をその他の人から得ることができます。

 ですから,徒労に終わろうが,逆に反発を受けようが,やらなければいけないのです。

 教師の仕事は,1対1の応対が,1対40の応対でもあるのです。

 これが,教師の仕事の本質です。

 
 この本質を理解しない教師は,無駄なことはやらなくなります。

 そして,信頼を失っていきます。


 本質が分からない人は,無駄なことをしない教師を信頼します。


 その結果,子どもは無駄なことをしない人間になり,学校を卒業していくことになります。


 若い教師に本質を教えられる人も,これからどんどん減っていくことでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より