ブログを書くような教師や元教師の「頭と心」を知るようになってから,同じ共通点を持っている人が多いことに気づきました。
これは,ブログを書く人の共通点というより,教師になる(なろうとする)多くの人が持っている共通点だろうと想像できます。
常に厳しい評価の目にさらされている私自身は,以下の人たちとは違っていると信じてはいますが,実際は似たところがあるように見えるかもしれません。
そういう人たちの共通点は,『偏っている』ということです。
私がたいへん嫌っているのは,『自分を守る』という意味での,激しい偏り方です。
一見,ブログで自分の考えを公開するということは,自分をさらけ出すことになる(自分の長所だけでなく,欠点もわかってしまう)わけですから,自分に厳しい人かと思ってしまいますが,ある人は議論になるとすぐに行き詰まってしまうため,それができないように予防線をはってしまう。 『偏っている』ことを相対的な目で見てもらいたくない,あるいは,間違っている部分があることに気づかせたくない,そういう「思考回路」でしょう。
あえて「課題に気づかせる」というねらいで言挙げする人がいるかもしれませんが,そういう人なら,議論こそ「待ってました!」という話でしょう。しかし,「気に入らなければ読まなければいい」という態度です。
ある人は,自分が精神的な部分に課題がある(またはあった)と自分から宣言してしまう。
ある人は,議論中に自分が嘘をついていることがばれてしまっても,それを見事にスルーできる自分がいる。
私が「ミラー現象」という言葉で表現したある人の「思考回路」は,自分が自分の批判対象になっている・・・つまり,鏡に映った自分に向かって話していることに気づかない人がいる。
自分で作り話を書いておいて,その直後に「作り話を書いている不届きな者がいる」と言えてしまう「神経回路」。
「お前,作り話をしただろう」と言われる前に,先手をうって,「作り話をしている輩がいる」と言挙げする。
実際は,自分自身が一番怪しげであることがそれでばれてしまうのですが・・・。
自分のことを問題にされる前に,人のことを問題にする・・・教師の場合,同じ大人では管理職しか標的にできる人間はいないので,自分の指導力の低さ(これが学校にとっては最大の問題なのですが)は棚上げして,「国旗掲揚反対」とやる。国旗は当日の会議では6時間ももめれば収束できますが,低い指導力によって台無しにされた子どもの学力は取り返しがつかないのです。こういう大問題は横に置いておける「神経回路」(実際には,「子どもが悪い」と本気で考えている・・・から,自分が救われるのでしょうが・・・)。
何事に対しても「傍観者」でいられるタイプの教師(このタイプがまた非常に多いわけですが・・・)を除くと,こういう人である確率が,一般の人よりも,教師の場合はかなり高い。ちゃんと責任を感じて,自分が許せなくなる人が多いのは,教育という難しい仕事の場では当たり前のこと。
教育というのは,そういう気持ちで努力と実践ができて,病気にならない人が,現場に立てるという,厳しい仕事です。問題は,教師の場合,プロスポーツの世界と違って,「あの選手はもう現役では通用しないな」という結果がはっきり見えにくいことと,「公務員」であるため,そういう評価を下せる人間がいないことが課題です。
どうして『偏る人』が多いのか。その科学的な分析方法は分かりませんが,直観的には,ある程度の使命感を持っているにもかかわらず,子どもを変えることができない自らの指導力の低さを自覚できないでいる人の,自己防衛機能としての「消極的行動」(=傍観者),「積極的行動」(=ブロガー)ではないかと考えています。
私にあてはめると,「公立学校の教師はこんなことではいけない,変えていかなければならない,と強く思っても,直接的にふれあえる人であっても,うまくいかない・・・言葉の力だけでは,変えられない・・・・自分の力のいたらなさを強く自覚させられることを隠すための積極的行動が,このブログなのかもしれません。
本来の仕事がそれに当たっているか,当たっていないかの違いだけです。
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