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うれしい情報

 先日行われた学会で,本に書いた私の内容を研究の参考資料にしてくれた方がいらっしゃったということを,知らせてくれた先生がいました。

 参考にしてくれた先生がいるのもうれしいですが,そういう先生がいたことをうれしく思って下さる私以外の先生がいるということの方がうれしいです。

 学会というもののレベルはさまざま。

 私自身はそこでなくても自分の学校で発表の場があるので,自分からわざわざ出かけることはないですが,もしその場面に私がいたら,「参考の仕方が気に入らない」とか,「真意が理解されていない」とか,そんなことで発表の方に腹を立てていたかもしれません。

 
 来月の研究発表では,遠い県から多くの先生にご参加いただけることがわかっています。

 交通費だけでもたいへんなのに,学校では「参加費(資料代)」というのをとります。

 本当に恐縮してしまいます。

 中学校では来年度から新しい教科書での学習が始まりますが,こういう機会を利用して,より多くの先生方と情報交換ができると幸いです。

 ところで,ある教科書会社から,新しい教科書の年間指導計画をつくる依頼をいただき,評価のポイントを詳しくつけた資料ができあがりました。

 ポイント入りの資料は今すぐにでも使えると思います。


 私が専門としている歴史だけですが,この作業でわかったのは,地理と公民というのは,評価するのに向かない分野だということです。

 地理などはちょっと以外に思われるかもしれませんが,「そういう内容」だからでしょう。

 そのあたりも来月の研究発表では話題にしますが,これは国を敵にまわすのでけっこう勇気がいることです。


 あの戦争で,マスコミが嘘をついていたことを知っていた国民はどのくらいいたのでしょうか。

 今の教育行政のあり方と,あの戦争を遂行していたころの姿がピッタリ一致してしまうのは,私が教育行政の中にいて,現場にいて,保護者として学校を見て,歴史を学び,教えているからでしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より