ブログネタ: Facebookデビューした?
誘われましたが,お断りしました。
これ以上「つながり」が増えて「気をつかう」のはご勘弁です。
「日本でははやらない」という予想に激しく同意していたのに,そうではない状況だそうなのを聞いて,もう自分は「古い人間」になってしまったのだとつくづく思います。
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ブログネタ: Facebookデビューした?
誘われましたが,お断りしました。
これ以上「つながり」が増えて「気をつかう」のはご勘弁です。
「日本でははやらない」という予想に激しく同意していたのに,そうではない状況だそうなのを聞いて,もう自分は「古い人間」になってしまったのだとつくづく思います。
ブログネタ: テスト前の勉強、徹夜でやってた?
眠らないといけません。
眠りとは記憶を定着させる時間です。
一夜漬けでできるような質の低いテストなら,授業中眠って徹夜するのも悪くないと思いますが・・・。
たとえば個人的な儲けを出そうとして,偽物を出すとか,インサイダー取引をするとか,個人情報を売るとかいう行動に出れば,「職業倫理」が激しく問われることになります。
ただ,私はこれは「人間としての倫理」の問題であって,「職業」がその汚名の犠牲になってしまうのはおかしいという立場です。
ですから「どうしたら仕事の手を抜けるか」「どうしたら勉強ができない責任を子どもだけに負わせるか」に必死な教師を批判するときには,本当は「教師」とよばず,「教師をしている人間」とか,相手のハンドルネームで呼ばなければならないはずでした。そうやってきたつもりでした。
しかし,個人が悪いわけではない,組織が悪いのだ,行政が悪いのだ,という方向への逃げ道を常に用意していないと気が済まない人たちが多い環境では,「効果がないのではないか」と疑われてしまうのは仕方がないことでしょう。
教育論を語ったことがない人が,教育論を批判する,そういう職場はとても多いでしょう。
自分が間違っていないことを語る情熱に欠けてはだれにも負けないような人間が多い環境では,「あきらめ」から「放置」への,自分の関心の対象からの「排除」への,希望を「捨てる」ことへの誘惑でいっぱいになってしまいます。
荒れた学校という環境でなくても,教師たちが完全に「子どもレベル」の責任の押し付け合い,仲が良い場合は全員による責任回避を行っている場面はよく訪れるでしょう。
教師に求められるのは「使命感」である,という自覚のある人の中でも,「人から批判される筋合いではない位置を保とうとすることへの使命感」と誤解している人がいます。
自分の使命とは何かを語れる人を「職業人」とよぶとすれば,教師の中には職業人とよべない人がいるのが大きな課題であるわけです。
あるいは,もうすでに多くの学校では「使命」などという言葉は死語になっているのかもしれません。
死語となることで都合のよい人間が増えてしまうという危惧を捨て去れないのが,教育現場というところです。
「使命感」のある人間なら絶対に書かない言葉が自分のブログに書かれているのを放置できる人間が多いところが,教育ブログというところです。
行政の経験が自分の教職人生にどう生きているかと問われたら,教職という職業に求められる資質や能力が(人によっては)想像もできないくらいの高いレベルであることと,現実とのギャップを思い知らされたことにあると言い切れるでしょう。
教育界の大問題は,教員の指導力が非常に低いという実態を,「余計に指導がしにくくなる」という理由で隠す体質にあることです。
子どもの荒れや低学力を「子どものせい」「親のせい」と言ってはばからない教員が教育ブログ界にもいるのは,皆さんご存じの通りです。
こういう人とのやりとりでおもしろかったことは,明らかな間違いを平気で放置しておくことができるという共通点があることです。自分の矛盾に気付かないことです。そして自分がいかに優れているかを語らずにはいられない,ということです。
こういう人間の書いたことからは,学べるものは何もありません。
教員を育ててくれるのは子どもです。
その子どもに対して,「お前が悪い」という態度をとっている教員というのは,そういう態度を教員に対してする子どもを育てていることと同じだということに気付いていません。
目くそ鼻くそを笑うというのは綺麗な言葉ではないですが,まさにその状況に陥っている学校や学年,学級は身近にはありませんか?
教育界というのは,「人材の確保」がすべてであると言い切っている人もいますが,長く,そして多くの教師の実態を見ていると,そろそろ「私も同意見です」という立場をとらざるを得なくなってきています。
どこかの県の教育長でしたか,相次ぐ教員の不祥事に「万策尽きた」ともらしてしまったそうですが,行政がとれる手段というのは,恫喝とご機嫌取りくらいしかないのです。
読み飛ばされてはもったいないので,繰り返して書きますが,行政がとっている手段は,恫喝かご機嫌取りです。
研修で変えることができるほど,人間は柔軟ではありません。
特に教員という職種は,中途半端に柔軟な人は精神的な病に陥ることになります。柔軟性ゼロ,という人が,けっこう幅をきかせられる特殊な職場が学校現場というところです。
何とかにつける薬はないのです。
学校の信頼回復のために何ができるのか?
私がこのブログで訴えているのは,教員が自分の力のなさを自覚することに尽きる,ということです。
それがスタートラインです。
その最初のゴールは,子どもの力の自覚にあります。
私はよく,「そんなことはうちの学校の生徒にはできません」と言われてしまいますが,それには,「私があなたの学校の赴任しても,生徒ができるようにさせることは絶対にできないという意味ですか」と聞き返したくなります。
次のスタートラインは,教材の力を自覚することです。人が使った教材ではなく,自分がつくった教材です。
そのゴールは,子どもの作品です。
私の今の最大の武器=教材は,子どもの作品ですが,子どもの作品はその子どもの力のすばらしさを証明してくれると同時に,他の子どもたちの成長を刺激するすばらしい特性をもっています。
そういう武器を手に入れられるようになれば,また次のスタートラインに立てます。
最近のうれしくない話題の筆頭は,教科書採択のあり方です。
これは,馬鹿馬鹿しくて書く気にもなれません。
教科書会社の「営業」を「調査する」専門機関さえあれば,教科書採択はもう少し変わります。
しかし,最後の決断を下す人たちのレベルを見たとたんに,「ものづくりのむなしさ」で目の前が真っ暗になります。
教育行政に身を置いていたことがあるのでよくわかりますが,「ここから先は無法地帯」というところがあります。
学校がまさにそれなのですが,それはおいておきます。
教科書を選ぶ人間の「偽物」さ加減にはまいってしまいます。
ただ,この嘆きこそが,教育現場の真の姿であることは,今までも強調してきました。
「偽物」が知ったかぶりで適当なことを書いている教育ブログを読むといちいち腹が立つのですが,「偽物」にいちゃもんをつけられるというのも本当に嫌なことです。
しかし,教育現場というのは常にそういうことを繰り返すための場所なのです。
私が今の職場を離れたら,まさにそういう話で1年間はブログを書き続けられるでしょう。
昔(今も?),現場でのストレスをみんな「子どものせい」「親のせい」にしている教育ブログがあり,そのあまりの無責任ぶりにコメントを入れたりもしていましたが,匿名こそが命綱みたいなブログはやはりむなしいですね。
かといって,実名で書いていると,それはもう教育ブログではなくて,商業的宣伝ブログになってしまう人もいる。
これも哀れなものです。
教師の情報発信の仕方で,本当によりよいものは何なのか,考えてみたいと思います。
考える期間は,およそ3年です。
先日行われた学会で,本に書いた私の内容を研究の参考資料にしてくれた方がいらっしゃったということを,知らせてくれた先生がいました。
参考にしてくれた先生がいるのもうれしいですが,そういう先生がいたことをうれしく思って下さる私以外の先生がいるということの方がうれしいです。
学会というもののレベルはさまざま。
私自身はそこでなくても自分の学校で発表の場があるので,自分からわざわざ出かけることはないですが,もしその場面に私がいたら,「参考の仕方が気に入らない」とか,「真意が理解されていない」とか,そんなことで発表の方に腹を立てていたかもしれません。
来月の研究発表では,遠い県から多くの先生にご参加いただけることがわかっています。
交通費だけでもたいへんなのに,学校では「参加費(資料代)」というのをとります。
本当に恐縮してしまいます。
中学校では来年度から新しい教科書での学習が始まりますが,こういう機会を利用して,より多くの先生方と情報交換ができると幸いです。
ところで,ある教科書会社から,新しい教科書の年間指導計画をつくる依頼をいただき,評価のポイントを詳しくつけた資料ができあがりました。
ポイント入りの資料は今すぐにでも使えると思います。
私が専門としている歴史だけですが,この作業でわかったのは,地理と公民というのは,評価するのに向かない分野だということです。
地理などはちょっと以外に思われるかもしれませんが,「そういう内容」だからでしょう。
そのあたりも来月の研究発表では話題にしますが,これは国を敵にまわすのでけっこう勇気がいることです。
あの戦争で,マスコミが嘘をついていたことを知っていた国民はどのくらいいたのでしょうか。
今の教育行政のあり方と,あの戦争を遂行していたころの姿がピッタリ一致してしまうのは,私が教育行政の中にいて,現場にいて,保護者として学校を見て,歴史を学び,教えているからでしょうか。
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