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朝日と読売の両方に登場・・・。

 長いこと教員をやっていると,めずらしいこともあるものです。
 
 同じ日の朝日と読売(あいうえお順)に,別の話題で生徒たちが掲載されました。

 朝日の記事はいい加減で,中学1年生のコメントなのに「地元の高校生」と紹介。

 確かに背が高くて堂々としていましたが・・・。

 自分たちの学校の生徒が題材になっているこういう生の記事が,メディアリテラシーの学習にはもってこいです。

 ろくに取材もせずに,適当なことを書く記者。

 読売の方は,記者の熱意に免じてここではノーコメント。

 それにしても,新聞を読んでる生徒はしっかり読んでいるものです。

 朝日はノーマークだったのですが,生徒に教えられてびっくり。

 参加したイベントはたいへん充実していました。

 これから,生徒たちの取材活動が始まりますが,売るための新聞ではできない取材をするのが持ち味です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より