歴史は何のために学ばせているのか?
小学校の研究会をのぞいてきました。
何に悩むべきかが分かるようになり,思いも複雑ですが,小学校教師の価値観にかなり慣れるようになってしまうと,「細かいこと」よりも「より大事そうなこと」に気が回るようになってきます。
史実に照らしてではなく思いつきであれこれ発表し続けられる,そういう光景も「小学生らしくていいかな」とあきらめるようになっていた一方で,その発言内容から,自分中心,利益追求・効率優先という「今の時代風の子どもらしさ」を痛感するようになると,「この学習は何のための学習なのか」という不安が襲ってくるようになります。
小学校の歴史教育というのは,専門家がいない分野で,かつ世の関心も低く,批判の対象になりにくいのですが,ここで取り上げる「人物」やその「働き」を調べる学習というのは,社会科の目標を達成するために,本当にためになっているのかどうか,それが私の一番の心配です。
様々な時代の戦争の話に「楽しそうに」参加している子どもを,どう捉えたらいいのか。
自分は死なない前提で,いかに相手を倒すか(殺すか)ということに知恵をめぐらせている風景。
小学生とはいえ,もう一年後の今頃は中学校で学習している6年生たち。
社会科が育てようとしている子どもとは何か。
根本的に,歴史の学習の前提から(目標から)考え直さなければならないことを直観した一日でした。
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