「しなる」指導(100ページの1文より)
ある教育ブログで,横浜の教師の体罰の問題にふれていました。
掃除を真面目に行っていなかった生徒が,注意に対して「ごめんね,ごめんね~」とふざけて返した。その結果が・・・。
教師は子どもから「バカにされる」のが仕事と言ってもよい職業なのに,「真面目」に怒る。
それは,当然。怒っても当然なのです。
一部の人は,殴っても,当然(でも怪我はさせないようにね),とおっしゃるでしょう。
指導に失敗しないために,教師には,「面白がる」思考が必要なのです。
どこかのブログでは,教師の体裁が最重要課題のようで,修身の教科書のようなことしか書かれていませんが,そんな「絵に描いた餅」はだれも食べることはできないのです。
教師が大人のように?「真面目」になることで,ますます子どもからはバカにされる対象になります。ふざけた子どもがボコボコにされている隣で,「あーあ,この先生もこれで終わりだな」と冷静に見ていた生徒もきっといたことでしょう。
ある学校を訪問したとき,「毅然とした態度が大事」という言葉を「真面目」に受け止めて,「毅然としかしない態度」ばかり教師がとって,末は想像通り・・・ということがありました。
なぜ「ゆるめるところ」「しめるところ」のバランスをとることが下手なのでしょう?
「ダメな学校」は,すべてがゆるんでいるようにしか見えないので,それをしめていけばよくなる,と誤解している人がいるようですが,違います。
「ダメな学校」は,ゆるめるべきところをしめてしまい,しめるべきところをゆるめてしまっているのです。
掃除の指導は最初が肝心ですが,慣れてくると生徒はゆるみます。
そのゆるみに,しめから入ると横浜の教師のように失敗します。
今回の場合は,「ゆるみは,ゆるみから入ってしめる」のが正しい対処法で,そのきっかけを生徒がせっかく提供してくれたのに・・・。
ゆるみは,ゆるみから入ってしめる・・・そのイメージは,多くの人に想像しやすいものではないでしょうか。
私は野球でよくたとえますが,これは剛速球を投げるときにも心がけていかないといけないことです。
腕の「しなり」。
問題行動を起こしている生徒に対しても,この「しなり」をきかせた指導が必要なのです。
もちろん,腕がしなってはいけません。
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