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2011年1月

「しなる」指導(100ページの1文より)

 ある教育ブログで,横浜の教師の体罰の問題にふれていました。

 掃除を真面目に行っていなかった生徒が,注意に対して「ごめんね,ごめんね~」とふざけて返した。その結果が・・・。

 教師は子どもから「バカにされる」のが仕事と言ってもよい職業なのに,「真面目」に怒る。

 それは,当然。怒っても当然なのです。

 一部の人は,殴っても,当然(でも怪我はさせないようにね),とおっしゃるでしょう。

 指導に失敗しないために,教師には,「面白がる」思考が必要なのです。

 どこかのブログでは,教師の体裁が最重要課題のようで,修身の教科書のようなことしか書かれていませんが,そんな「絵に描いた餅」はだれも食べることはできないのです。

 教師が大人のように?「真面目」になることで,ますます子どもからはバカにされる対象になります。ふざけた子どもがボコボコにされている隣で,「あーあ,この先生もこれで終わりだな」と冷静に見ていた生徒もきっといたことでしょう。

 ある学校を訪問したとき,「毅然とした態度が大事」という言葉を「真面目」に受け止めて,「毅然としかしない態度」ばかり教師がとって,末は想像通り・・・ということがありました。

 なぜ「ゆるめるところ」「しめるところ」のバランスをとることが下手なのでしょう?

 「ダメな学校」は,すべてがゆるんでいるようにしか見えないので,それをしめていけばよくなる,と誤解している人がいるようですが,違います。

 「ダメな学校」は,ゆるめるべきところをしめてしまい,しめるべきところをゆるめてしまっているのです。

 掃除の指導は最初が肝心ですが,慣れてくると生徒はゆるみます。

 そのゆるみに,しめから入ると横浜の教師のように失敗します。

 今回の場合は,「ゆるみは,ゆるみから入ってしめる」のが正しい対処法で,そのきっかけを生徒がせっかく提供してくれたのに・・・。

 ゆるみは,ゆるみから入ってしめる・・・そのイメージは,多くの人に想像しやすいものではないでしょうか。

 私は野球でよくたとえますが,これは剛速球を投げるときにも心がけていかないといけないことです。

 腕の「しなり」。

 問題行動を起こしている生徒に対しても,この「しなり」をきかせた指導が必要なのです。

 もちろん,腕がしなってはいけません。

成長するために

 成長するためには,自分の中に複数の自分をもつこと。

 たとえば,複数のブログをもって,それぞれの自分に活躍してもらうこと。

 そういうゆとりがあれば,成長も実感できるかもしれませんね。

 教育関係なら,保護者としての自分。

 教師としての自分。

 行政にいたときの自分。

 そして,それぞれの逆の立場。

 それぞれに協力する立場。

 これだけの人がそろっても,なかなかいいアイデアが浮かぶことは少ないのですが。

足立区の教育目標

 自分の心ので地面を踏みしめてつ子どもを育てること。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より