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ゆとり世代教師への期待と絶望

 「うんめい」さんから寄せられていた以下のコメントへのお答えです。

 確かに,若い教師に対する厳しい目は,これからもっと強くなるかもしれませんね。

 小学校では,「あたり」「はずれ」感覚が親たちの頭をよぎることも増えるでしょう。

 ただ,子どもたちは,若い教師だけでなくて,ベテランの教師にも,年配の教師にも中学,高校等でふれることができます。

 若い教師は,自分一人だけで仕事をするのではなくて,さまざまな経験を積んだ教師と協働で子どもに向かいます。

 もし「うんめい」さんが危惧されるような「若い教師」がそのままベテランになり,定年近くになっても同じようなら,本当に日本は危ないでしょうが,教師もそれなりに成長します。

 今はとても人望を集めている教師でも,若い頃は手が付けられない暴力教師だったかもしれません。

 また,ご心配の教師は,昔も今も,各学校には必ずいながら,何とかやっていけているという面もあるのです。

***************************
コメント、失礼します。
 いやあ、困りました。何が、困るのか?それは、教師になろうと、また子どもを立派と言える社会人に育てようと、本当に努力してきた人が浮かばれなくなることです。
 私も、教育者に、少しあこがれを持っていました。友達も。その友達も。先生になろうと、何年もがんばってきた。でも、なんかもういいや、って皆諦め始めました。
 お勉強なし大卒ゆとり世代の若い子は、私たち30歳以上グループと違い、何の苦労もいりません。私たちに比べるなら、簡単に、学校の先生に採用されてしまいます。若ければ、ここでは書けないけれど、いろいろ得。実際、若く、社会経験もまるでないイケイケ兄ちゃんたち変な人が、採用されてきています。彼らは子どもの頃、ゆとり教育で、万引きしてもかまわないよ、人殺ししたってさ、と教わってきてしまいました。それを、正しいこととして、新しい世代の今の子に教えてしまっている構図ができていると分析できる。完全に、洗脳され、麻痺してしまっている訳なのです。
 そうしたことに、問題があるのでは、とまず思われます。

 制度のせいにするのはよくないことなのかもしれないが、そもそもゆとり教育では危ない教員が生まれてしまう、と10年前から指摘されていました。NHK教育テレビで、当時からすでに強く疑問視されていました。なのに。なぜ、今こうなるとわからなかったのでしょうか。
 若い教師に言わせれば、「だってえ、私たちも、昔子供の頃に人殺し教わったもの。やっちゃえ、やっちゃえ。だからいいじゃん」。
 いろいろな人がいますが、一つにゆとりの洗脳を受ければ、そのレベルになるのです。私たち30歳過ぎの世界とは、常識が、あまりに違いすぎるのです。
 さらに恐ろしいのは、2010年、そうした教師に教わってしまった不運な子が、成長して2020年成人になったとき。もうその2020年成人の子では、申し訳ないが、常識ある生活が送れなくなるでしょう。結婚しても、2030年頃、しっかりと家庭教育を施せなくなります。そして、そのちぐはぐ2030年家庭教育を受けたそのまた子も常識がなくなる。そして、常識ない2040年成人に。そして、そのまた子のまた子も・・・。省略しますが、こんな、恐ろしい連鎖が待っているはずです。
 もう、この連鎖を止めるのは、容易ではありません。だからこそ、あんなゆとり教育なんて、やっちゃいけなかったのに。と、言ってももう遅いのですが。
 私たちは、学校の先生にならない。なったところで、彼ら若教師とは、考え方や行動が絶対にあいません。もう、学校の先生になっても、しょうがない気がします。
 皆さん、学校関係者ではないから、自分は子どもと関わらないから、と安心なんてしてはなりませんよ。今の教育を受けた子は、数十年後、あなたのそばに、大人の姿となって、家の隣人として関わることになるのかもしれないのですよ。もう、ゴミのマナーなど、確実に守れない。夜中も、テレビゲームの音。赤ちゃんの、虐待叫び声。悲しいですが、そんな未来が待っているのかもしれません。
 話は少し変わって、やがて老人になる2050年の私たちを支えてくれるはずの彼らは、きっと裏切ります。年金なんて、払ってくれなくなりますよ。
 
 どうか皆さん、真剣に考えてください!
 
 長くなりました。急に、すみませんでした。なお、この書き込み内容は、私個人の思い込みなどではありません。さる大学機関の統計を元にした、警告です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より