ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 小学校での本物の授業研究の方法 | トップページ | 「教育の目的」を考えるために(100ページの1文より抜粋) »

「新しい」を教育では使用禁止用語に!(100ページの1文より)

言語活動の充実・・・これが改めて重視された直近の背景は,改正学校教育法第30条第2項で,同法第21条に掲げる目標を達成するために留意しなければならないこととして,「学力の重要な3つの要素」が示されたことにあります。

 1 基礎的・基本的な知識・技能
 2 知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等
 3 主体的に学習に取り組む態度

 それを踏まえて中教審が学習指導要領の改善を答申し,この3点を含む,改訂の基本的な考え方が示されました。

 ただ,注意すべきことは,ここに挙げられた3点が,決して「新しい」ものではないということです。

 1900(明治33)年の小学校令施行規則は,国語科の新設と近代化に特徴があるものですが,第1条に示された6つの趣旨のうちの3番目に,

 知識技能教育では,「反覆練習シテ応用自在」になるように教育すること

とあり,着実に知識を定着させ,それを応用して使えるようにすることが求められています。

 こういうことを指して,「戦前に逆戻りだ」として批判する人はいないでしょう。

 また,6番目には,

 各教科間の連絡調整を図り,目的に向けた教育を施す

ことも重視されています。教育課程全体として教育効果を高めようとする意識が,今の教師たちに果たしてどれだけあるでしょうか。

 この小学校令施行規則による教育課程改革は,1941年の国民学校令までの41年間の教育のあり方を決める重要なものでしたが,国民学校令に示された教育の目的を見ても,平成になって「新しい学力観」とよんでいることが示されています。

 戦争に勝つために,科学的な能力をもった子どもの育成が重視されていましたから,

 国民学校の教育は立派な日本人をつくることを目的とする。日本人であることを真に自覚した美しい,すこやかな第二の国民を養成することを目的とする。自ら考え,自ら創造する能力のある人間を錬成することを目的とする。

・・・もし戦争がなく,アジアの平和や秩序をリードするような立場にあった日本として,このような目的を掲げていたとしたら・・・。
 


 国民学校令は,「皇国ノ道」=欧米や中国からの輸入思想を排除する日本固有の道を教育目的としており,内部矛盾があったとしても,「小さい木は小さい木として完成しながら大樹がそれから発展する基礎である如く,国民学校の教育は夫自身完成教育でありながら,同時に将来の教育の基礎であり生涯持続せらるべき自己修養の根幹である」という言葉からも分かるように,生涯教育の視野も含んだものでした。

 当たり前のことを当たり前に行ってきた。

 それをこれからも続ける。

 以前,他のブログでも紹介しましたが,1955年に発行された文部省検定済教科書「中学校の社会科 歴史的内容を主とするもの」(昇龍堂出版株式会社)の章末に示されている「研究課題」は,多様な言語活動を促し,教科の枠も超えたものでした。一部を抜粋します。

 2 日本の産業革命がおくれた理由を,話しあうこと。
 3 現在のわが綿工業の問題を調べること。
 4 日露戦争の影響を書きあげること。
 7 第一次世界大戦の損害の数字をあげ,戦争について討議すること。
11 先生から,このころの女工のくらしについて,話をうかがうこと。
14 日本にきて文化の発達につくした西洋人の小伝記をつくること。
16 芥川龍之介の作品を劇化すること。
22 全体主義を批評する会を開くこと。
32 平和や軍備についていろいろな意見を集め,話しあうこと。
33 水素爆弾のおろそしさについて,理科の先生にうかがうこと。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

« 小学校での本物の授業研究の方法 | トップページ | 「教育の目的」を考えるために(100ページの1文より抜粋) »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

言語活動の充実」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 小学校での本物の授業研究の方法 | トップページ | 「教育の目的」を考えるために(100ページの1文より抜粋) »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より