子どもを木ではなく森として見る教育
私の願いは,本当に子どものためになる教育の実現,これに尽きます。
批判されて,キレたり折れたりするような教師には,現場に立つ資格はありません・・・なんて強気なことを書いているのは,半分,自分を叱咤激励するような言葉です。独り言です。
私の尊敬する先生方が多い小学校の校内研究では,授業者を絶対にほめないという鉄則があるそうです。どんなに計算され尽くした授業にも,問題はある・・・そういう認識がなければ,本当の授業改善はできません。
本質的な部分で批判されるとさすがに教師は折れそうになるのですが,それを支えて踏みとどまるには,信念しかありません。場合によっては,今までのやり方をすべて捨て去る勇気もいるものです。
些末な観察ではなく,もっと大きく授業を見ましょう。木を見て森を見ず,では絶対にだめなのです。木だけを見る授業研究の方法は,早く捨て去りましょう。
(以上,100ページの1文より)
上の記事で,もし「木」=子ども一人一人というとらえ方をされてしまっていたとしたら,それは間違いです。
子ども一人一人も,「森」です。
もちろん,クラスを森に見立てて,子どもを木として認識することもできますが,一人を子どもを真剣に見ようと思ったら,一本の木ではなく,一つの森として認識した方がよいでしょう。
表面だけ見ても,その中がどうなっているか,決して分かりません。
子どもが40人から35人に減れば,教師の負担が減ると,真面目に主張している人がいますが,これは大間違いです。
いい教師は,10人なら10人なりに,40人なら40人なりの仕事をするのです。
40人から5人に減ったとしましょう。私なら,その負担の重さに耐えられなくなるかもしれません。
教育にしろ,福祉にしろ,本当に手をかけなければいけない子どもがいる場合は,1人でもたいへんなのです。
逆に,そうではない場合は,40人でも楽な仕事です。
教育は「量」より「質」だ,という考えに100%反対の人は少ないでしょう。でも,ほとんどの人は何の疑問もなく「量」の話ばかり考えています。
35人とか40人とかいうレベルの数の違いは,教師の質の違いと比べると,ほんのわずかな差の問題です。
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