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2010年8月

教師の仕事力【12】エネルギー源

 好きなことへのエネルギーは枯れないといいます。

 しかし,好きでないこともしなければならない。

 そういうときのマイナスのエネルギーが大きい人がいます。

 それをどう極小化していくかが教育という仕事でも鍵になるでしょう。

 何でも子どものためになっていると考えることができればいいのですが,中には明らかに大人のためにやっていることだと分かる仕事があります。

 しかし,そのなかにも,考えようによっては子どものためになることもある。

 好きなことに結びつけようとする直感力が高い人は,どんどん伸びていきます。そういう人は,持続力もあるし集中力もある。好奇心も強いので,よりよい仕事の方法を見つけてしまうかもしれない。

 逆に,嫌いなことに関して非常に敏感な人がいる。こういう人は姿勢が逃げですから,新しい発見はできない,
人から信頼されない,コミュニケーションを避けるようになる,などの弊害が多く出てきます。

***************

 私は,変なたとえですが,自分のエネルギー源を「水力」「火力」「原子力」に分けて考えるようにしています。

 水力は,大きな流れに逆らわず,その勢いに乗ってするものです。パターンが決まっている仕事をするときは,水力発電です。

 火力の場合は,石炭や天然ガス,石油がありますが,これは様々なタイプの子どもからエネルギーをもらって燃焼していくイメージです。若いときはこのエネルギー源が主力ですが,資源の枯渇が心配になります。

 そこで原子力の登場ですが,核分裂だけでなく核融合のイメージも想定して,いかにクリアに,クリーンにエネルギーを生み出すかが勝負です。

 直感や経験だけでなく,理論も重視します。

 さらに,太陽熱や太陽光,地熱,風力などもありますが,それらは学会や研究会などに対応させてあります。

 一日分のエネルギーを使い切ったときの爽快感は,何とも言えません。

教師の仕事力【11】

 誇りを持てない仕事は淘汰される。

 教育の仕事に誇りが持てない教師が,変われるための条件とは何でしょうか。

 何のために変わる必要があるのでしょうか。

 仕事をたくさんしたい,新しいことに挑戦したい,という教師が飛躍的に力を伸ばすことができるのは,新しい学習指導要領に移行するときです。

 逆に,また教科書が変わってめんどうくさい,と考えている教師が淘汰されていく時期でもあります。

 この淘汰は,「誇りを持てる教師」としての地位からの淘汰で,職を失うわけではありません。

 単純労働でも,誇りをもって働いている人がいます。

 誇りのない教師の労働を私たちはどう考えたらよいのでしょうか。

教師の仕事力【10】

 形を持つ人だけが,形を破れる。

 教師が形を持つまでに,どのくらいかかるのでしょうか。

 教師になったときにはすでに形ができている人というのはいるのでしょうか。

 子どもたちを型にはめたくない,という逃げ口上を耳にしたことがないでしょうか。

 本当にはめてはいけない型と,はめてあげないといけない型と,どのような区別ができるでしょうか。

 教師自身のことについて言えば,「よい授業」を参考にするために研究会に訪れる人がいますが,「よい授業」とは,「生徒が学べる授業」です。
 教える内容や方法にばかり目がいって,ああ,こんな授業,私にはできないな,こんな授業,よくないな,などと考えているうちは,決して授業の形はできないでしょう。
 今日の授業では,何を学べたな。あるいは,今日の授業で学んだことは,今までのこんな積み重ねが必要だったんだな。では,今日の授業をするために,これこれこういう積み重ねをしていこう,そういう学び方でないと,研究授業は役に立たないでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より