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2010年7月

教師の仕事力【9】

 生徒たちの学力不振を前に,どうしたら生徒の学力を高められるかと考える一方で,どうしたら自分の指導力を高めることができるかを教師は考えなければなりません。

 教師にとっても生徒にとっても,一番力をつけることができるのは授業の場なのですが,生徒にとって家庭学習や塾での学習が必要であるのと同時に,教師にとっては研修が必要です。

 しかし,力を高めていくための研修の場が少ないことについて,教師は多くの注文を出しません。

 研修の場が少ないと,多くの教師がその場に集中するため,通り一遍の内容になりがちですし,講義を聴いて,二三の質疑応答をして終わり,なんてものばかりになります。

 35人学級も大事なのでしょうが,落ち着いて考えてもらって,40人が10人になった時点でどのくらい効果があるか,検証しようとした人はいるのでしょうか。35人学級の実施は,教師の指導力低下の決定的な証拠をつきつけようとする「罠」かもしれません。・・・それは別のところにゆずるとして,40人で研修するのと,10人で研修するのと,どちらが効果的か。どちらにどんな内容や方法を行う選択肢が多いか。

 研究の仕方がわからない若い教師たちにとって,他校の優秀な教師たちから学べる機会を多くすることは,だれのつとめなのでしょうか。

 最近,退職した校長先生が若い教師や講師を集めて研究会を開く場に参加したことがあります。勤務校の飲み会に参加せずに,こういう場に出席する教師を煙たく思う管理職が少ないことを祈りたいと思います。

教師の仕事力【8】

 教師の「勝ち組」を無理矢理「こういうものだ」と語るとしたら,どんなものになるのでしょう。「勝ち負けではない」という話ではなく,無理矢理表現するとしたらです。

 仕事は勝ち負けで判断するものではない,ということは分かっていることを前提にしたら,ということです。
 
 いつの時点を想定するか。
 
 現在か,中堅から定年前くらいの時期か,退職後か。

 このような作業をすると,実は「勝ち負けではない」と思っていながら,「私は負け組ではないか」「教師の仕事とは何だったのか」と改めて考え込んでしまう場面が出てくるかもしれません。
 
 また,時代全体,社会全体の閉塞感を打ち破れないでいる自分に気付くかもしれません。
 
 歴史を振り返ると,まさかこんな時代に・・・と思われるような環境で,人々はとても活気をもって生活していました。
 
 今は,過去から見れば本当に物質的には何でも満たされているような社会です。
 しかし,人間の欲望は底なしであることはみんな分かっています。だから発展するという経済が存在するのも事実です。
 そういう実社会ではなく,蛸壺のような空間でまわりを気にせずに生きている教師が,本当に教育とよべる仕事ができるのかどうか。
 
 もちろん,蛸壺空間で能力を伸ばすことに全精力をつかっている仕事があるのも事実です。しかし,ごく限られた目的を達成するためにある仕事と,教育の仕事では目指すものの幅が大いに異なっています。
 
 教師の仕事とは何か。
 あまりにも注文が多いので自分の仕事を限定しにかかっている面が強くなりつつありますが,せっかくの長所が発揮されなくなるのも寂しいものです。
 
 たいへんだけど有意義なこと。
 つまらないけど重要なこと。
 たいしたことないけど決定的なこと。
 
 手を抜くわけではなく,仕事の密度を濃くしようとする気持ちは分かりますが,結果的には大事なことをしなかった,という後悔だけはしたくないのですが・・・。

教師の仕事力【7】

 リーダーを育てるのも教師の仕事です。
 
 しかし,教師集団がリーダーを育ててこなかった。
 
 リーダーを経験して教師になった人間が少ない。

 だからリーダーの育て方が分からない。これが学校の問題です。

 異なる年齢の人間が混ざっている集団で,「年長」がリーダーの位置に立つのが慣習として残っているわけですが,実はこの「年長」は村の「乙名(おとな)」のような「長老」ほどの年ではなく,高齢社会の中では「若い」方に入る人が多いのです。
 
 その程度の開きしかない集団で「年の順」制度をとるので,明らかに「組織的な動きができない集団」が生まれてしまいます。

 一度決めたことが,浅はかな判断で簡単に変わってしまう,話し合いがやたらと長く,結局何も決まらないで時間だけが無駄に流れる,子どもがだれの言うことを聞いていいかわからなくなり,結局,教師や大人を信頼しなくなる(それはそれで効果もあるのですが)。

 学校の教師の中には,「講師」待遇で何の問題もない「公務員」が混ざっています。

 「教師は授業で勝負」を逆手にとって,授業だけ熱心で組織の仕事にはほとんど加わらない。だいたい本をたくさん出してサイドビジネスで活躍している教師に多いタイプです。

 リーダーがいない。

 学校がリーダーを作ってこなかったために,社会にリーダーがいない。

 経営でも,政治でも。

 「リーダーだけが欠落しているのが今の日本だ」という人もいます。

 少なくとも,目標をはっきりと掲げられる人間,想像力をしっかりと働かせられる人間,教師自身がそう呼ばれるような人でありたいと思います。

教師の仕事力【6】

 教師は,自分の明日が子どもたちの明日につながっている,という実感をもって仕事をしているでしょうか。

 そのような意識をもって子どもに接することによる教育効果が,実は今,最も求められていることかもしれません。

 国や地域社会,学校を最後に支えるのは「責任ある個人」です。

 「みんなの責任」を意識しすぎて,責任を持とうとする「だれかの強い意見」には容易に同意しない。物事を決めない,決断を下さない。こういう習慣は,基本的に平和で明日が保障されている成長の時代には構わない(無理をおかさなくても将来は安泰である)のでしょうが,その決断の弱さが致命的になる歴史の実例をたくさん見てきました。

 「みんな」の中で,「自分の責任」は自覚できているのか。
 
 自分の責任を果たそうとしているのか。
 
 自分の持てる力で,物事を良い方向へ進めようとしているのか。
 
 自分が引き受けられることを探して,その役割を担おうとしているのか。
 
 自分自身の能力に愛情を持っているのか。他人の能力にも同じように愛情をもっているのか。
 
 それとも,「個人の責任」=「負担」なのか。
 
 できるだけ「負担」を軽くしようと努力する組織に,未来はあるのでしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より