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教師の仕事力【2】

 伸びない人には,共通の原因がある・・・それは他人の評価を嫌がる人間・受け入れない人間だ・・・というのは,どの職業の人間をとっても言えることなのでしょう。

 教員も,自分の言い分が通らない,素直に聞いてくれない,などと嘆くことがありますが,それは周囲が能力を認めていないから,ということに気付いていません。一目置かれている存在なら,とっかかりくらいは感じるはずです。

 教員の中には,他人の評価を嫌がる一方で,やたらと自己評価は高い人間もいますが,こういう勘違いタイプは,努力をしません(能力は高いと信じているから)。だから,成長しない。自ら仕事を作り出さない。だから能力が向上しない。

 本当に仕事ができる人は,自分に厳しく,決して高い評価を出しませんし,だからこそ仕事をつくっても努力して先を目指します。

 子どもには散々な評価を下しながら,その子どもの状況を招いた人間に関する評価を無視することができるのはどうしてでしょうか。

 授業の評価ができるのは,厳密には子どもだけです。

 子どもの評価を避けたがる人間は,まず子どもとのコミュニケーションが成立しておらず,何でもかんでも無条件に押しつけたがっています。だから子どもはその教師を評価しない。それが分かっているから,評価を避ける。そんな関係を打破するのに重要なのは,子どもと一緒に同じ学校の教師がきちんと評価してあげることでしょう。

 教師が仕事力を伸ばそうと思える環境を,子どもがつくれる学校ができれば,日本の教育は変わるでしょう。

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教育」カテゴリの記事

コメント

 はじめまして、ILLUNESSです。
 ニートだけど一応教員目指してるものです。
 まだ教育実習でしか教員の仕事を垣間見ていないのですけど、教員に対して評価を下すという内容に興味をもったのでコメントさせていただきます。

 教師が教師に評価を下すという部分には、基本賛成です。自分の現状がどうなってるのか把握できることは、たぶんすごく助かることだと思うから。

 ただちょっと怖いと思う部分もあります。この教師が教師を評価するということ。これって何かしらの基準を用いて教師を評価してあげないと、まずいんじゃないかと思いました。というのはですね、これを教師間で相対的に評価すると、すごく出来る人が出てきたときに他の教師がすごく肩身狭くなるんじゃないかと思ったんです。もちろんそれも正しい世界のなのかもしれないのだけども、ニートで現状駄目人間な自分はたぶんそれでつぶれちゃいそうな予感がしてならないのです。そう考えたときに、教師間で評価するにも基準――ぶっちゃけ絶対評価みたいな、ある一定の目標をクリアしていく感じの評価がほしいなとか思いました。

 あ、でも実際は何かしらの評価基準ってあるんですかね?こういう評価って基本賛成なんですけど、一歩間違うと現状の行き過ぎた成果主義やら教師間いじめを作りそうな予感がしたので。ちょい恐怖を感じながらコメントしてみたのですけども……どうなんでしょう?

コメントいつもありがとうございます。
痛ましいことが,絶え間なく起こる教育現場。
子どもの声が届く仕組みを,何が何でも阻もうとする教師たち。
力でおさえつける楽な指導に安住する教師たち。
問題山積の現場ですが,買春教師など,大問題が起こる前の手段としては,警鐘を鳴らし続けるしかないのかもしれません。

こんにちは。
>子どもの評価を避けたがる人間は,まず子どもとのコミュニケーションが成立しておらず,
何でもかんでも無条件に押しつけたがっています。

賛同します。
評価を避けたがる教師はコミュニケーション能力が不足しているようですね。
kurazohさんがおっしゃるような、コミュニケーション能力が不足していて、
何でもかんでも無条件に押しつけたがっていた教師が私の高校にいました。
私たち生徒は、暴言、暴行等の被害に遭いました。授業中もやつを恐れ、憎んでいました。
そういう教師が追放されず、何故か、出世しているのが無念です。

何故、暴行などをした問題教師が出世できるのでしょうか。具体的にいえば、校長になれるのでしょうか。
いったい教員の評価システムはどうなっているのかと疑問に思っているところです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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    「歴史の活力」より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より