ILLUNESSさん,ご訪問,またコメントをありがとうございます。
ご質問にお答えいたします。
教師が教師に評価を下すという部分には、基本賛成です。自分の現状がどうなってるのか把握できることは、たぶんすごく助かることだと思うから。ただちょっと怖いと思う部分もあります。この教師が教師を評価するということ。これって何かしらの基準を用いて教師を評価してあげないと、まずいんじゃないかと思いました。
一番分かりやすい例は研究授業。指導計画・授業の実際・子どもの理解度・子どもとのやり取りと見とりなどなど,評価のポイントは様々です。教育実習の時に,そういう評価項目はありませんでしたか?基本は,現場で何年やっている教師でも同じです。「お疲れ様,ご苦労様」なんかは絶対禁句。もっと疲れ,苦労するために行うのが研究授業です。どんな細かいことでも見逃さずに,徹底的にやります。
というのはですね、これを教師間で相対的に評価すると、すごく出来る人が出てきたときに他の教師がすごく肩身狭くなるんじゃないかと思ったんです。もちろんそれも正しい世界のなのかもしれないのだけども、ニートで現状駄目人間な自分はたぶんそれでつぶれちゃいそうな予感がしてならないのです。
人と能力を比べられるのが嫌いなのは,どんな職業でも一緒です。
ただ,草野球のおじさんがプロ野球選手と比べられても別に嫌にはなりませんよね。
「同じ職場で仕事をしていれば,同じような能力を発揮すべきである」というプレッシャーを受けるからこそ,評価を嫌がるわけですが,評価されなくても,そのような状況があれば,見過ごすべきではない,ことはご理解いただけるでしょうか。
教師の場合は,一応,子どもの前での権威を保たなければなりませんから,子どもの前で評価を公開することはしません。しかし,実は子どもがその教師の能力を一番よく知っているのであり,だからこそ子どもの評価も大事なのですが,ここでは,「肩身が狭くなる」と言われる感覚について。
「肩身が狭くなる」ことが,努力への動機にならない方は,教職には向いていません。
「子どもに本当に申し訳ない」という気持ちがあれば,自分から去っていただけるのですが,そういう人は残念ながらまれです。
「低い評価を受けたらつぶれてしまう」ような弱い人は,教職には向いていません。
一般の企業人にも,向いていないのではないでしょうか。
でも,そういう人たちが,大量に教職に採用されています。
こういう評価をしたら,どうなるか,先が読めるために,「思いやり」をもって,たとえば研究授業の実施を避けるように努力して,「人を傷つけない,やさしい」職場にしているのです。
教師たちが異動先の学校でまずすることと言えば,「人にやさしい集団かどうか」を探ることです。
いったん「やさしい」と判断したら,後は伸び伸び,「ゆとり」をもって仕事に当たれるというわけです。
ここへ,評価を能力開発の道具として使いたがる管理職が入ってくれば,一斉に反旗を翻す,反抗する,当たり前のように起こっている現象です。
ですから,評価には戦略が必要です。
そう考えたときに、教師間で評価するにも基準――ぶっちゃけ絶対評価みたいな、ある一定の目標をクリアしていく感じの評価がほしいなとか思いました。
基準はとても「公平」なものですが,「機械的」「安易」に運用されると危険です。
それさえクリアしていれば,後は手を抜こう,と思ってしまうからです。
あ、でも実際は何かしらの評価基準ってあるんですかね?こういう評価って基本賛成なんですけど、一歩間違うと現状の行き過ぎた成果主義やら教師間いじめを作りそうな予感がしたので。ちょい恐怖を感じながらコメントしてみたのですけども……どうなんでしょう?
管理職が行っている人事考課というものには,ある程度の基準はありますが,キャリアや能力に応じて,個別にはかなり幅をもって運用します。
現在,多くの自治体で導入するようになった目標管理は,まず教師自身が目標を設定して,それがどの程度の難易度なのか,どの程度達成できたのか,こういうことを考えながら1年間のスパンで活動するもので,年度末に評価します。
しかし,キャリアプランといって,初任者ができること,10年目の教師が目指すこと,20年目の教師がやるべきことなどは,様々ですから,長いスパンで目標をもって研修にはげんでいく,そういうものもあります。
私が提唱しているのは,つまらない研修はやめて,各教師が自分の目標を公開し,それへの意見を集めたり,助言や協力をもらえる教師を募ったり,研究会を紹介してもらったり,話し合いで一部修正したり,そういう時間をもって個人目標の「共有化」を図ることです。
年末に一度,経過を報告し,年度末に最終発表する。その自己評価の結果を,教師でさらに評価し合う。
教師の自己評価は厳しめになるのが普通ですから,最後の相互評価で評価は高くなれば,それだけやる気も増すでしょう。
こういう個人目標の相互理解が,組織目標の設定に向かい,全員でその学校の教育課程を編成している,そういう実感がもてるようになる学校をイメージしています。
弱い人が見つかれば,その弱さは組織でカバーしなければなりません。
カバーしてもらっている,そういう安心感がもてる関係をつくらなければなりません。
・・・そんな簡単にいくかな・・・とベテラン管理職は思っているでしょうが,すべての教師が大学時代にこういう評価があることを当たり前として学べるようになれば,ちょっと違ってくるかもしれませんね。
お答えになっていたしたか?
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