状況悪化で自己正当化できる「ごまかし」
ここ20~30年で,教育の世界で大きく変化したことは何か。
間違いなく,子ども一人一人への目配りが必要になってきました。
それ以上に,保護者への目配りもかかせないものになっています。
教育は惰性の世界であることは確かで,「ここ数年おこっていない問題が,今年おこるということは考えにくいだろう」という認識が支配的だったのが,ようやく,「いつどんな新しい問題がおこるかわからない」という危機意識が必要になってきました。
「今までのやり方では通用しない」という意識を持てている教師でも,「だからどうする」という段階で,いくつものタイプに分かれます。
意識は持てていたのに,対策がゼロだった教師が,問題に巻き込まれるのは気の毒ですが,自分の意識の正しさを自覚する経験ができる分,成長の糧になる可能性があります。
誤った対策を立てたために,問題が深刻になってしまうことも気の毒ですが,正しい対策への道が見えれば,教師としての成長が見込めます。
一番困る教師というのは,「だからどうする」の部分の対策や責任を全部「国」とか「文科省」に押し付けて,思考停止するタイプです。
自分の責任を「ごまかす」一番安易な方法で,こういう教師が多いために学校の信頼はどんどん低下していくのですが,本人はそれに気付きません(状況が悪化すればするほど,自分の意見の正しさが証明されるわけですから・・・)。
この「ごまかし」という言葉をキーワードに,一度,自らの教育活動,あるいは学校の組織的な活動を全部洗いなおしてみたらどうでしょうか。
・・・「教育なんて一種のごまかしでしょ」なんて結論が出てくるのはこわいですが・・・。
「生きる力」とは何か。「確かな学力」とは何か。
どんな力が求められているのか,考えるだけでもいいわけです。
「昔と同じ」と開き直ってもかまわないのです。同じような実績が残されているならば。
しかし,社会性が育っていない,基礎的・基本的な事項が理解できていない,そういう子どもが増えてきているのなら,「それはその子どもと親の責任だから関係ないですよ」ではすまないわけで,「昔と同じ」ではない指導が求められているわけです。
「不断の努力」という言葉が,ぴったりくるような教師が求められているのが,現在の教育の世界でしょう。
最近のコメント