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教師の「雑用」への重大な誤解

 生活指導や進路指導、部活動の指導が「教師にとっては雑用だ」・・・「フィンランドの教師はそんなことをしない」とテレビで公言されると、「雑用」に命をかけている人たちにとってはつらいことでしょう。

 あの番組を見て、「フィンランドの学校は、日本で言えば『塾』だな」と思った人も多いのでは。

 みんなが『塾』で勉強していて、そこで学習している問題と似たようなものを解けば、みんなできるのでは?と先を見通した人もいるでしょう。
  
 フィンランドの教育はさておき、「雑用」と定義づけされてしまった「生活指導」「進路指導」「クラブ指導」が、いかに狭く捉えられているか、これは学校現場にいる者としては、アピール度が低すぎたのではないかと反省しています。

 おそらく、「雑用」と言い切れる人は、狭い意味の「生活指導」を受けたこともなく、進路は自分で決め、クラブにも参加しないで塾に通っていたりしたのでしょう。

 教師の仕事の核が「学習指導」にあることは間違いないのですが、あまりそこばかりに目がいってしまうと、保健体育の先生や美術や技術、家庭科、音楽の先生は肩身の狭い思いをさせられることになります。

 実技の学習指導は、いわゆる5教科、入試教科の指導よりも、生活指導・進路指導などの要素を多分に含んでいます。

 本来、社会科にしろ何にしろ、生活や進路と無縁な学習というのはあり得ないのです。

 ある生徒が、「数学の二次方程式の解の公式なんて・・・」と「生活の役に立たないもの」と切りすてようとしましたが、「部分の性質が全体の意味を決定づける」「論理的に物事が説明できる」「人を紛れもなく納得させる」ことを理解するのは、社会科や国語だけではだめなのです。

 直接使えるものしか役に立たないのではなく、どんなものであれ、どのように役に立つのか追究する姿勢をもつことが成長のエンジンになるのであって、これは使える、これは使えないと区別してしまう傾向というのは、自分の可能性のつぼみをむしってしまうのと同じなのです。

 教師が「雑用」からいかに多くのことを学べるか・・・。会社員の「雑用」にも多くの「意味」が隠されているのでは?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より