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藤田晋の成長学・教師編39 生徒指導の手抜き

 セオリー№39 交渉で“褒め殺し”は怪しまれるだけ

 会話中にやたらとうなずく人を怪しめ・・・これは「褒められ病」の人たちには理解しがたい教訓かもしれません。

 「常に認めてもらっていないと気がすまない」子どもや大人が増えたのはなぜでしょうか。

 それは「罠にはまる」自分が面白いからでしょうか・・・?

 教師の中で、子どもの言うことを「受容的に聞こう」として・・・というかそういうジェスチャーを子どもに示そうとする目的で、やたらにうなずく人がいますが、鋭い子どもなら、すぐに見抜いてしまいます。

 「この先生、その場がよければそれでいいのだな・・・」

 意味のない「ご機嫌取り」のうなずきは、「打算的」というより、「手抜き」であるというのが藤田社長の考え方です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より