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藤田晋の成長学・教師編42 叱ることができる教師

 セオリー№42 部下はもっと叱ってもらいたがっている

 叱り方にもセオリーがある・・・と言われてしまうと、そもそも叱られた経験も、人を叱った経験もなく教師になったような人は、どんな場面でも叱ることを躊躇してしまうことになりかねません。

 しかし、これだけは忘れてはならない、ということは、叱るべきタイミングを逃すと、次に叱るときは非常に成果が得にくくなるということです。

 教師の中には、普段は叱らないのに、他の教師が近くにいるときに限って叱る・・・「自分は叱れる人間だ」ということを他の教師にアピールしたいだけ・・・ということがばれてしまう人がいます。

 また逆に、いつも叱ってばかりの教師もいます。「他にすることはないのか」と思われるほど叱ることを繰り返すのは、よほど根性がないとできないことかもしれませんが、こういう人が、卒業した後も教え子から慕われる存在になっていたりします。

 藤田社長の言葉から、「叱る」行為の留意点になるものを拾い出すと・・・・

 組織のため、部下のために、愛情をもって・・・という前提を忘れない

 感情的にならない
 
 叱る理由を明確に

 叱った後、暗い雰囲気にならないように

 自ら改善案を出す

 叱った後、「君ならできる」という前向きな一言を忘れない

 部員全員に対して言っていることを忘れず、全体の前で叱る場合もある

 成長意欲のある人間ほど、自分の悪い点や課題点を論理的に教えてもらいたがっている

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より