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藤田晋の成長学・教師編38 反応を促す表情を向ける教師

 セオリー№38 プレゼンでは相手に話をさせよう

 教師が毎日行っているプレゼンは、授業です。

 最大のコツは、子どもがどのくらい突っ込みを入れられるかどうか。

 小学校ではさすがに少数派でしょうが、中学校・高校では教師による一方通行の「講義」が多いと必ず批判されますので、見た目でそれを回避するには、子どもが突っ込んでくる雰囲気をしっかりつくることです。

 (外見上は一方通行の「講義」でも、聞き手の頭がフル回転しているものもありますので、一概に「講義形式」が悪いとは言えません)

 授業は、子どもと会話しながら進めていくもの・・・そういう実感がもてるかどうかが、教師にとっては成長の鍵になるのでしょう。

 子どもに、「何かの反応をしてほしそうな顔を向ける」ことが教師にできるかどうか。

 教育実習生が指導案を書くときなど、藤田社長のこんなコメントを読ませてあげたいものです。

 資料を熱心に書けば書くほど、確実性が減ったり、説明一辺倒になってしまう危険があります。資料は添え物程度と思い、説明だけでなく、相手の話を聞くことに力を入れてプレゼンするのが、成功への近道です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より