ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 壁に向かって歩める教師 ふり返り366日【08/8/8-2】 | トップページ | 「投げる」ことができない子どもたち ふり返り366日【08/8/10】/昭和21年・第111問 »

公約は貫き通すべきか否か ふり返り366日【08/8/9】/昭和21年・第110問

 教師集団が一枚岩であり、絶対に譲れないものを共有していることを子どもに伝える一方で、一人一人違うものを持っていることを認め合う雰囲気がある・・・・それが非常に高い水準の指導体制であると言えます。

 行政の場合は気の毒なことに、一枚岩であることだけが長所です。

 「公約は貫くべきか、臨機応変に変えていってよいか」ということが話題になっていますが、質の高い教師集団のあり方に学ぶべき姿がありそうです。

08/8/9 北京五輪報道と教育の「寛容・多元主義」  北京オリンピックは開幕したばかりですが、日本のメディアは報道の自由を中国に訴えるキャンペーンも同時に行おうとしているようです。  政治テロを防止するため、大量の人員と監視カメラを投入した厳戒態勢がとられている中国。  北京を訪れている外国人の中には、テロ行為の目的が明確であり、対象が(武装)警察官であるという「安心感」があるのかもしれませんが、警備の「物々しさ」には感じるところがきっとあることでしょう。  報道の自由、表現の自由は、「都合の悪いことは知らせない」という立場の人から多くの人の利益を守るという一面があります。  ある立場の人にとって「都合の悪い」ことが別の立場の人には「都合がよい」こととなり、その他の多くの人の利益とは関係のない事実というのもあります。  「報道」も「歴史」と同じように、無数の事実の中から「発信者」がその価値観に基づいて抽出したものが発表され、残されていくことになります。  ですから事実の「選択」の傾向によって、「発信者」の価値観や立場が明確になることがありますが、価値観や立場が多様な人々からの情報が収集でき、それを各個人が改めて自分の価値観によって解釈していける社会が望ましいことを、教育現場では子どもに伝えていきたいと思います。具体的には、異なる価値観に基づく意見や考えの尊重です。あまり明確ではなかったかもしれない、より上位の価値観に気づかせる効果が期待できます。  ただ、教育現場には教育現場の価値観・・・たとえば、子どもたちは「時間割」にそって各教科の学習を行っていくべきである・・・があり、その価値観を受け入れることができない子どもの学習をどのように保障してあげられるか、といった問題があります。  不登校生徒の状況・・・中学校は約3%・・・が発表になりましたが、この子どもたちへの教育のあり方を考えるためには、「1年間に30日以上の欠席」というだけのくくりだけの統計ですますことなく、ほぼ全欠席(200日以上)はどのくらいなのか、その生徒たちの学習はどのように行っているのか、社会参画を学ぶ機会はどうなのかなどをふまえて「学校ができること」「保護者ができること」「地域ができること」「行政ができること」などを考えていく必要があると思います。  学校とは異なる価値観で「学び」を保障する支援組織と学校との連携など、教育にも「寛容と多元主義」が強く求められる時代になったのかもしれません。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第110問】 
 昭和21年(1946年)の話です。
 2月25日から旧円と新円の交換が始まり、3月3日からは古い札を使うことができなくなりました。使用できなくなったお札からはたとえばどんなものが作られたのでしょうか。
 ① 子供用のノート
 ② 浴衣
 ③ 新聞紙

*******************
ブログランキング 歴史

 【第109問の解答
 ②の飛行機のプロペラを作る合板技術が使われたそうです。

« 壁に向かって歩める教師 ふり返り366日【08/8/8-2】 | トップページ | 「投げる」ことができない子どもたち ふり返り366日【08/8/10】/昭和21年・第111問 »

教育」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

昭和の家庭史」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 壁に向かって歩める教師 ふり返り366日【08/8/8-2】 | トップページ | 「投げる」ことができない子どもたち ふり返り366日【08/8/10】/昭和21年・第111問 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より