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教師にあこがれる子どもが多い国の特徴とは? ふり返り366日【08/8/4】/昭和20年に始まったもの

 教師が子どもにとって、あこがれの職業になる国にはどのような共通点・特徴があるのでしょうか。

 どなたかご存じの方に教えていただきたいものです。

 日本には、「教師なんかにあこがれているようでは、たいした人間ではないな」と認識する教師が少なくないのではないかと思われます。

 私も教師になりたてのころは、いわゆるデモシカ教師からだったでしょうか、「どうして教師なんかになったの?」と聞かれたことがありました。

 幕末のころ、吉田松陰に影響を受けた人間のうち、吉田松陰のような「先生」になろうとしていた人はどのくらいいたのでしょうか。また、吉田松陰のような「人間」になりたいと思った人はどうでしょうか。

 いずれにせよ、人材獲得・人材づくりのためになりふりかまわぬ政策をとる自治体も登場している昨今です。

 私のいた自治体では、「指導力不足」の教師が増えるとともに、「こんな人間を獲得した教育委員会はどうかしている」という見方をする教師も増えているようですが、現場が採用したい人と、教育委員会が採用する人のギャップをどう埋めていくかについては、それにかかわることによって負担が増すのではないかと鋭い嗅覚をきかせている現場が動かないので、なかなか改善は難しそうです。

08/8/4 教職志願者を増やす方法とは?  ある新聞のコラムで、「教職志願者が減ったのは、教師が夏休みに休めなくなったからだ」と書いている人がいてびっくりしました。このコラムは筆者の好きなように書かせている(編集の手が加わっていない)ようで、ときどきとんでもない偏見が飛び出します(通常は自分の実践の正しさの強調)。  たしかに、私が初任者のころは、プール(水泳)指導の担当者を決めるのに四苦八苦していた記憶があり、考えてみるとその理由は、プール(水泳)監督をして責任を持たされるのが嫌というより、単純に学校に来たくない(来ない)教師がいたからだったような気がします。  休みがないとは言っても、毎日8時間ずっと部活動や会議をしているわけではないので、授業の準備や研修がいくらでもでき、かつ、年休を取ろうと思えば実際に取れる期間があるのですが、最近は「夏休みでも休みがない」という宣伝をしたがる教師が多いようです。  「楽をしているわけではない」ということが言いたいのだと思いますが、過密スケジュールで塾の講習と部活動を両立させている生徒と比べると、明らかに学期中よりは楽になっているのはたしかでしょう。  勤務時間中に趣味の歴史小説を読んでいても、社会科の教師なら「研究と修養のため」という理由がついてしまいます。  さて、本題は「教職志願者を増やす方法」です。  昔は、本当に「夏休みが40日も取れるから」という理由で教師になった人がいたのでしょうか?  教師の子どもが教師を目指すことが少なくないようですが、そういう人が、「自分の子どものころ、随分家にいて、一緒に遊んでくれた」という記憶があり、「私の子どものためにそうしたい」と思ったりしているのでしょうか。  一般の公務員よりも給料が高い、そういうことが一定の志願者数を支えているのでしょうか。  そうすると、教師の給与水準をもう少し上げると、志願者が今より増えるのでしょうか。  いずれにせよ、私が考えている「教職志願者数を増やす方法」は、単純なことで、大学時代までに、「教職につきたい」という願望を強く持ってもらうようにすること、これに尽きます。  そして、そのために重要なのは、早ければ児童・生徒の段階から、この仕事への魅力を実感してもらうことです。  それは、教師自身が、日々やりがいを持って仕事にのぞむ授業を楽しそうに行うなど)とか、この仕事をしていてよかった、という気持ちを児童・生徒に伝えるとか、さまざまな方法があります。  教師の場合は、自分の能力の向上、自分の成長だけでなく、子どもの能力が向上し、成長してくれることも「仕事の報酬」になります。  「お金ではない」報酬で心が満たされる職業は他にもたくさんあるのでしょうが、教師の場合はこれが格別で、行政では事務方から教育長になったような人が、教員系の人によくこう言うのです。  「卒業した後も、相手がどんなに偉くなっても、いつまでたっても先生、先生と慕われるのがうらやましい。」  後者の報酬が教師ならではのものであり、子どもに「恩義」「感謝」の気持ちが生まれることで、卒業後も「教え子」と「世話になった先生」という関係が続くことになります。  教えた当時の自分の年齢を超えた「教え子」たちに、当時の教育への暖かい批判を浴びたりするのが年中行事になっている教師も少なくないでしょう。  教職志望の人たちにがあるとすると、「どうしてそんなたいへんな職業につかなければならないんだ」「もっと出世できて高収入が得られる仕事の方がいいんじゃないか」と反対する親の存在でしょうか。  教師になってからも、「組合に入らないといじめられるんじゃないか」とか、「親からいろんな要求をつきつけられてまいってるんじゃないか」「結婚相手を探す暇はあるのか」などと心配をかけます。  そんな親を安心させる方法も、日々やりがいを持って仕事にのぞむことしかありません。  卒業させるごとに増えていく「色紙」や「感謝のことば」などを見て、徐々に安心させていくことができていくのでしょう。  大学の教職課程に欠けていることが何かは多くの方が実感できるのではないでしょうか。  蛇足ながら、都道府県の教員採用試験の倍率をいかに上げるか。  その答えも同じであるとすると、現職の教師の役割も非常に大きいものになっていきます。

*******************
昭和20年(1945年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○タンパク源として、ヘビ・カエル・ネズミも食用に。
○北村サヨ、山口県で天照皇大神宮教(踊る宗教)を開く。
○JIS規格スタート。
○スイスのローレックス社が、日付が瞬間的に変わる腕クロノメーターを開発。
○プレハブ住宅が登場。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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    「沈黙の王」より
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    「歴史の活力」より
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    「歴史の活力」より
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    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より