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公的ではない公務員 ふり返り366日【08/8/10-3】/昭和21年・第114問

 日常的に教育が実践されている場は、「パブリック」の場ではありません。

 ・・・と聞かされると、「公教育とは何だ?」と思われるかもしれませんが、やはり学校という場所は「パブリック」のようで、「パブリック」ではないのです。

 それは、小学校の「学級王国」に限った話ではありません。

 子どもがお世話になっている大人に挨拶をしないのも、パブリックの場なら失礼な行為になるのですが、学校という閉じた空間の中では「あり」になってしまっています。

 歌手と教師の違いは、不特定多数の「大人」がそれを目にする機会があるかないかです。

 歌手は「パブリック」の環境でその力が評価されますが、教師の場合は閉じた空間なので、その力は「力のある子ども」しか分からないのが普通です。

 教師たちは、自分たちを「パブリック」の場の存在にすることを極端に嫌がります。

 考えてみれば、公務員という職業が、どれだけ「パブリック」な空間から離れたところにあるかは、扱っている情報の質からしても容易に想像がつくところではありますが、「公的ではない公務員」というイメージを何とか払拭することはできないでしょうか。

08/8/10 キャリア教育に関する教師の盲点   yamamotosanさんからコメントをいただきました。  ありがとうございました。  キャリア教育に関するブログを立ち上げていらっしゃる方のようですね。
(子どもは)どうして勉強しなければならないのか?? 子供の納得がないままに学校では、指導要領と先生の価値観によって授業が進行します。あたかも、子供に教えることができるのは教師の特権でもあるかのように。 私は思うのですけれど、教師は知識と同じぐらい子供に生き方を見せてあげたいのです。 経験もさせてあげてほしいのです。 勉強することの意味を教えてあげてもらいたいのです。 子供の自己肯定感を育ててあげてほしいのです。 自分で立って、歩き出せるよう、人生の勇気と意味を教えてあげてもらいたいのです。 家庭、地域社会、行政、経済社会。すべて子供を取り巻くものの存在は、「より良い将来のため」というキーワードに沿って、協力関係にあることが望まれます。
 もし中学校に「哲学」の科目があったとしたら、「子どもが思索にふけっている間は、他の教科の授業中でも教師は指名してはならない・・・」などの規定ができるのでしょうか。  あまり特定の教科の学習に興味がわきすぎると、それを追究する誘惑に勝てず、他教科に力が入らなくなるという問題がおこってきます。  そういう点でも、義務教育の学習には大きな限定がかかっているような気がします。  しかし、「授業を休んで1ヶ月間の職業体験を実施可能(ただし実施者は補習を○○時間受けること)」なんていう教育があってもいい気がしますがどうでしょう。  「知・徳・体」の調和のとれた教育が最もバランスよく実践できるものの一つがキャリア教育であることはわかっていても、今のカリキュラムの範囲内で、どれくらいのインパクトがある教育が可能であるかは、何とも言えません。  私自身は、自分が教師になったことを考えると、自分が受けてきた学校教育そのものがキャリア教育でもありました。もちろん私だけではありません。教師はみんなそうです。  という話で言えば、どういう教師の教育を受けてきたかが、自分の教師生活にも大きな影響を及ぼしそうですが、他の道に進んだ方々にとってはどうなのでしょう。  その点は、教師にとっては盲点になっています。  教師がキャリア教育の上で果たしていた役割は何なのか。  一つ前の「死活的に重要なこと」が、あらゆる子どもに大きな影響を及ぼしていることは、私の直観にすぎないかもしれませんが、その直観が誤りであったとしても訴えたいことになっています。  社会の変化に抵抗し、飲み込まれたり、溺れたり、逆行したりしている教師が「良い機嫌で子どもに接し、良い気分を味わわせている」保障はありません。  社会の変化に迎合せず、コントロールされず、先を見通していける教師が求められていると信じています。  コメントをきっかけとして、キャリア教育について、改めて考えさせていただきました。

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昭和の家庭史トリビア?【第114問】 
 昭和21年(1946年)の話です。
 食糧難の時代。畑をつくることに日本中が精を出し始めましたが、「どうしたら畑荒らしを避けることができるか」も課題でした。都内でカボチャ泥棒よけの立て札に書かれた内容のうち、効き目がなかったのはどれでしょう?
 ① このカボチャのうち、どれか一つに青酸カリが注射してあります。 
 ② 何人が食べてもよろしい。ご自由に。
 ③ 作る身にもなってくれ。

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 【第113問の解答
 ②の名古屋市でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より