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個性を生かす無教育・殺す教育(100ページの1文より)

 社会に生きるということは、自分の欲望のスイッチをその場その場で切り換える、そんなイメージでしょうか。

 その切り換えが上手くできない人が、「KY」「マイペース」「不思議ちゃん」などと呼ばれ、「社会」から排除されてきたのですが、そういう人を排除してきたのはどのような「社会」でしょうか。

 個性の定義も難しいですが、社会の定義もそれに負けないくらい難しいものです。


 ここで特に強調しておかなければならないことは、学習者は一人一人の個人だということ、個人というものは、本来はばらばらにできないいろいろな特徴が寄り集まって一つのユニークなパターンを作っているものだということです。

 個性という言葉も、本当に様々な意味で用いられるものです。

 学校が個性を殺すところだという表現も、個性の意味の捉え方によっては可能になってしまうほどです。

 しかし、いくら将棋が好きだからといって、四六時中、人の話に全く注意を向けず、駒の動きだけを考えているばかりでは、社会生活を送っていくことはできません。

 そもそも教育の大部分は、個人に社会性を身に付けさせるための場で、「好きなことをいつでもどこでも好きなようにできる」ことを当然のこととして育ってきた子どもを預かる場合は、たいへんな苦労を子どもも大人もすることになります。

 教育の立場では、「切り替えのスイッチ」をどのように入れるかが勝負になります。

 「好きなことをやり続ける」子どもは、常に自分の欲望を満たすという行動のスイッチが入ったままなわけです。

 これを切るのが教師の仕事になり、ただ、問題はどこで入れるかということになります。

 優れた指導というのは、いくつもの回路が同時に開いていて、うまく欲望のコントロールが可能になっている状態を指すのでしょう。

 ただスイッチを切るだけなら、物理的な力だけで十分なのですが、それを精神の力でコントロールできる能力を身に付けさせるのが学校です。

 ある人は、個性は変えられないが、能力は変えられる、と言いました。

 個性がやっかいなものではなく、社会にとっても有益なものとなるために、様々なスイッチや回路を提供できる教育が求められています。

子どもの能力と教育評価第2版

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より