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「非社会性の心理学」(100ページの1文)より

 コミュニケーションの喪失と共にかつての「正常な人」でない人が増えてきた。

 子どもは教育の対象であるとともに、研究の対象でもあります。

 新聞報道などをもとにすれば、一般の方でもかなりのデータを集めることができるでしょう。ただ、学校現場では、気にし出せばほとんど無限と思われるかのようなデータが収集できます。

 「非社会性」が問題になったのは、それほど昔ではありません。

 「いじめは昔からあった」という言い方がよくなされますが、「非社会性」が課題となる「いじめ」や、それに対する親の非社会的な反応のような問題は、比較的新しいことです。

 子どもの場合は「宇宙人」、親の場合は「モンスター」として、「正常でない行動」の事例が次々に報告されるようになりました。

 たとえば、「教師にこういうことを言われて子どもが傷ついたようなのだが、それは本当か」ということを親が確かめたくなったとします。

 それを、家族といっしょに暮らしている教師のもとに、夜中の1時に電話をする親は、「正常な人」でしょうか。

 「夜中の1時に電話をかけてはいけないという法律はあるのか?」というのは、「正常な人」の反応でしょうか。

 教師の側にも、「不満や怒りのはけ口になりつつ、それを反らしていく技」をもっていれば、心理的な負担も減っていくでしょうが、子も親も自立させていくための「教育課題」は、学校の教師だけで解決していけるものではないでしょう。

 「子ども手当を親のストレス解消のためにパチンコに使う」のも自由な国であることが自立を阻害するのか、それともそのような環境が自立させていくためには必要なのか、よく「学校生活レベル」では話題になりますが、社会ではどうなのでしょう。

非社会性の心理学

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より