自分の「それらしさ」に疑念が持てる賢さ
私は、つくづく「権威」に弱い人間だと痛感することが多いです。
「学会」などというと、そこに堂々と反対意見が言えないような、敷居の高さを感じます。
せっかくの異論があっても、肩書きのすごい「偉い先生たち」の前では思考停止状態です。
現場の先生方にも、こういう経験をたくさんしてもらえると、「学校らしさ」「学校のよさ」が実感できるかもしれません。
それらしい名前のそれらしい場にいることだけで、何となく自分が「それらしく」なっていると感じてしまう愚かさに、自ら気付くことが大切でしょう。
« 落ちる子どもを育てる教育 ふり返り366日【08/8/1-2】/第108問 | トップページ | 教師の「雑用」への重大な誤解 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
« 落ちる子どもを育てる教育 ふり返り366日【08/8/1-2】/第108問 | トップページ | 教師の「雑用」への重大な誤解 »
コメント