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藤田晋の成長学・教師編37 学習の大切さを分からせる道具

 セオリー№37 目的がぶれなければ交渉は負けない

 なぜ学習は大切なのか,子どもに聞かれたとき,目で見て分かりやすい説明用のツールをもっているという教師はどれくらいいるでしょうか。

 もし「学習の大切さを子どもに分からせたい」「なぜ学ぶ必要があるのかに気付かせたい」という「目的意識」をしっかりと持っている教師ならば,それを達成するための手段をもっていてしかるべきでしょう。

 これが,単なる自分の体験とか,「いずれ分かる」という言い方で逃げているようでは,「学ぶ先輩」としての教師はそこに存在しないことになります。

 そのツールを利用して,本当は10段階のレベルがあって,3のレベルでもいいのに,人によって,場面によっては5とか7のレベルまで要求してしまうことも可能です。

 それは「交渉術」の一つでもあり,小さいステップを積み重ねていくうちに高いレベルの要求に応えさせることが可能になる・・・そういう教師を目指していきたいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より