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人を不幸にする不幸な存在

 改革の先頭に立っている人が,「猛進」する場合,それが「暴走」であるのか,「果敢な挑戦」であるのかは,結果からしか判断できないのかもしれませんが,「暴走」という結果になるリスクを減らすために,「諫める」人というのが必要になる場合があります。

 ただ,マスコミなどは「諫める」ふりをしながら,「煽る」のが得意技です。

 子どもたちには,「人の不幸」が「飯の種」になる職業への抵抗感があり,これを「公共性」という概念から修正していく指導というのが必要になってきますが,ときには「知る権利」という個人の欲求を優先してしまい,他人の不幸の上に立つ幸福を追い求める資質を育ててしまう場合もあります。

 少なくとも,子どもにとっての「知る権利」の中には,「世の中の問題点を知らされる権利」というのが入っているべきでしょう。「知らされる権利」と表現することもできるでしょうか。そうでないと,知らず知らずのうちに人を不幸にする,不幸な存在になってしまいます。

「100ページの1文」(09/10/06)より

 それまで聚楽第の利休屋敷で、御茶頭として大名や公家から高い尊敬を受け、当代一の文化的権威を誇った利休が、突然没落したわけです。

 千利休のように、「見苦しい最期を迎えることができない」プレッシャーを受けることが、日本の社会では伝統的に受け継がれてきているように思います。
 
 それは、本当に素晴らしいことかどうか。

 歴史や伝統を心酔するようになるリスクは、「見苦しくない最期」のための理不尽な死を擁護してしまうことにある気がしています。

 「和魂」の美しさが、「散り際の潔さ」などに象徴されるのはちょっと待ってほしいように思います。

 著者が教育関係者なので「教育」のカテゴリーにしました。

 
日本の感性和魂ルネッサンス

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より