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病気休職する教師が子どもに与える影響についての研究?

 小中学生にとって、親の存在、親の生き方、在り方というのは絶大な影響力をもつものです。

 教師をやっていて、子どもの荒れや生活の実態に「無理もないな」と感じざるを得ないことはたびたび訪れます。

 むしろ、どうしてこれほどまでに「普通」でいられるのだろう。「普通」はいつまで「普通」でいられるのだろう・・・。

 気苦労は絶えません。

 変なたとえですが、患者が亡くなっていくことに感傷的になっている暇がない病院関係者と同じような心境でしょうか。

 もっと感情移入をした方がいいのでは?というプレッシャーをテレビドラマを視聴したことで感じてしまうような教師もいるでしょうが、400人に対してそれが果たして可能かどうか。

 学級の40人に対してすら、相当厳しい。

 この気苦労が、内部=同僚教師にもまわさないといけない学校現場も少なくありません。

 教師の重要な資質・能力に、「精神的なストレスを感じない」か、「精神的なストレスを短時間で解消できる」というものがけっこう求められていることは、病気休職者の増加からも分かるでしょう。

 担任を任せても、いつ学校に来られなくなるようになるか分からない・・・そういう教師による子どもへのストレスの影響を研究している人はいるでしょうか。

「100ページの1文」(09/11/21)より

親にとっての自分と自分の子どもと子どもの関係

 「目標にたどりつく道は最短でなくてもいい。目標に向かってやり続けていくことが大事」と、Aさんは言います。

 子ども自身をありのままに見るのではなく、子どもは見ずに、親がそうさせたい子ども像ありきなので、どんどん追い込まれてしまう子どもが増えているようです。

 親が苦労のプロセスを経ている場合は余計にやっかいです。

 なぜ自分と同じ苦労ができないのか。自分の子どもなんだからできないはずはない。

 「自分」と「自分の子ども」と「子ども」との関係がよく分かっていない「親」は、まず「木」の下に降りてきて子どもを見ることから始めるべきでしょう。

 遠くを見て、足下を見て、遠くを見て、足下を見る・・・その地道な繰り返しで、きっと目標は達成されていくのでしょう。

「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より