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「自分らしさ」の呪縛 ふり返り366日【08/8/1】/第107問

 「自分らしさ」という言葉が、「わがままな人間に認められる個性」であるという実感をもっている人は少ないでしょう。

 「人からも理解されるその人らしさ」ではなく、「人から理解される必要のない」自分らしさになってしまっている現状を食い止められるのは、学校現場なら教師やクラスメイト、職場なら管理職や同僚、家庭なら親や兄弟、親戚といったところでしょう。

 学校で行われる、「将来、どんな職業に就きたいと思いますか」というアンケート項目の中に、「自分らしさが生かせる仕事」というものを入れると、これを選ぶ子どもが非常に多くなる傾向があります。

 これは、「自分らしさ」が何なのか分かっていない子どもたちにとってみれば、結局「どんな職業に就きたいか分からない」と答えていることと同じです。

 学校や社会では、「協調性」が大事だと思わせられる生活を送りながら、「自分らしさ」を大事にというプレッシャーをかけられている面がありますが、「協調性」は「同調」していれば傍目には障害がない一方、「自分らしさ」は「同調」や「協調」とは全く違う・・・という固定観念が邪魔をしていると考えることもできます。

 そもそも、「~らしさ」という言葉自体が何かの型にはめてしまうような指向性のあるものですから、「自分らしい」という言葉そのものが大きな矛盾を抱えているとも言えます。

 「小学生らしい小学生」
 「中学生らしい中学生」
 「高校生らしい高校生」
 「大学生らしい大学生」
 「社会人らしい社会人」
 「先生らしい先生」

・・・って、それぞれどんな人のことを指すのでしょうか。

08/8/1 個性に共感できる子どもと教師  岡潔の『対話 人間の建設』の一節から、個性への共感について考えてみたいと思います。  
各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。個性はみなちがっているが、他の個性に共感するという普遍的な働きをもっている。それが個人の本質だと思いますが、そういう不思議な事実は厳然としてある。それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのですけれども、個人のものを正しく出そうと思ったら、そっくりそのままでないと、出しようがないと思います。・・・・そういういろいろな個性に共感がもてるというのは、不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。
 子どものことで言えば、「いいものに素直に共感することができる力」には欠けている部分があるのではないか、というのが多くの教師の印象でしょう。  個性に共感する普遍性を育てる(こういう対象は普遍性とは言わない?)ために、さまざまな方策が工夫されても、プロセスの中では多くの葛藤や対立があり、一見すると結果として失敗したように見えることもあります。  しかし、それが成功への第一歩になっていたことに、後から気付くこともある。  また、今の生徒たちは「空気を必死で読む」ために、個性を「正しく出せていない」(そっくりそのままの個性ではなく、飾ったり本質をぼかしたりした表現になってしまう?)ことが、共感を得にくい原因になっているのではないか、という気もします。  クラスによっては、うまくいっているようでも、そっくりそのままでない見せかけの個性を尊重するため、共感を欠いたドライな人間関係が固定化しているところがある。  だから多少の衝突は覚悟の上で、その人の「いいもの」を探したり、自ら「いいもの」を追求していける人になってほしい。人それぞれ、きっとその人にしか出せない「いいもの」があるはずである。人に共感できる人になることが、人から共感される人になることにもつながる。  そのいうメッセージを込めた指導の事例を過去にご紹介いたしました。  教師にも、同僚に対して、管理職に対して、このような姿勢を持つことが求められている、というのが一貫した私の考えです。  一人一人の教師の「いいもの」を共感し合える教師集団の力は、はかりしれない偉大なものになるはずです。  たまたまコンピテンシーディクショナリーを作ってくれた教師がいましたが、これは今でも私の宝物になっています。

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昭和の家庭史トリビア?【第107問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 敗戦後、手持ちの晴れ着・袴・コートなどを田舎や闇市で食料に換える生活が一般的になりました。このため、流行することになった言葉とは?
 ① ハダカ生活
 ② ツクシ生活
 ③ タケノコ生活

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 【第106問の解答
 ①の米(「人造米」)でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より