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小学校に回される管理職 ふり返り366日【08/7/31-2】/第105問

 公立学校の管理職のなり手が足りない・・・・。特に小学校です。

 中学校籍の管理職はまだ余っているので、どんどん小学校に回されてしまっているようです。

 教員や施設の管理のノウハウは全く同じなので、経営を苦もなくできるのは当たり前なのでしょうが、小学校で楽をするとなかなか中学校に戻る気力がなくなってしまうという問題も浮上してきそうです。

 小学校籍の教師というのは、「子どもとわいわい楽しくやっていたいから、たいしてうまみがなく、苦労ばかり増える管理職になる人がいないだろう」という言い方をよくするのですが、この発想自体がおそらく中学校籍の教師とのギャップを端的に物語っているものでしょう。

 中学校籍の教師で、「子どもとわいわい楽しく」やっているような人には、間違いなく管理職になる資質はありません。別の言い方をすると、管理職にでもなってもらわないと現場が迷惑している・・・そういうタイプの教師です。

 小学校籍でも、学級崩壊や保護者対応で本当に苦労している人もいるでしょうが、逃げ道が管理職になることであるはずもありません。

 小学校が崩れるのは、組織の問題というより、個々の教師の資質・能力の問題が原因です。ですから組織のリーダーになっても、根本的な問題は解決できません。優秀な教師を獲得できるかどうかが勝負です。副校長・教頭が「代理」で授業をするケースは全国でどのくらいあるのでしょう。

 中学校が崩れるのは、個々の教師の資質・能力の問題ももちろんありますが、組織力でカバーできるのが小学校との違いです。だから組織をコントロールするというやりがいがあるのです。

 小学校全科という仕組みを変えることが、教育の質的向上の第一歩になるかもしれません。
 ある教科の研究に熱心になって、他がおろそかになるという話は有名校でも聞かれる話です。

08/7/31 学校経営者としての5つの悩み  雑誌プレジデントの記事から、経営者が抱いている5つの悩みを学校の教育管理職にあてはめてみると、どういうことが言えるか、考えてみました。 悩み1:管理職としての能力に対する不安  「学校経営についての自分の判断は正しいのだろうか」  「学校経営について自信を失い、校内でも孤独感を募らせているが、その悩みを相談できる人がいない」 悩み2:組織運営に対する不安  「自分の(教育長の)経営理念が校内の教師たちに伝わらない」  「教師たちが主体的に動かない」 悩み3:教育の成果に関する不安  「指導に工夫を加えていっても、なかなか成果があがらない」 悩み4:人材育成に関する悩み  「主任級の人材がいない、育たない」  「異動では優秀な人材が流出し、課題がある教師が入ってくるおそれがある」 悩み5:自分自身の存在意義に対する不安  「この学校の教師たちにとって自分とは何か」  「自分はこの学校のために何ができているのか」

 問題解決は、「問い」からスタートするので、何の不安も抱いていない管理職というのは怪しいわけですが(しかし、特に校長がまとう鎧はかなり強固なものでしょう)、これらの解決のために、その当事者(管理職)以外の人たちにできることとは何でしょうか。
 雑誌記事では、「心の軍師」と呼ぶべき存在、エグゼクティブ・コーチが必要だと説いています。
 校長にとっての「心の軍師」たり得るのは、教育界ではだれでしょうか。
 行政には「指導室長」「教育課長」という教員系の中間管理職がおり、教育長をトップとする教育委員会と現場の校長のパイプ役となっていますが、この人たちは「心の軍師」にふさわしいエグゼクティブ・コーチングのノウハウをもっているでしょうか。
 これは現場の校長に聞くしかありませんが、次のようなことを校長にできる課長は、よほど胆力と実力のある人でないと難しいかもしれません。
 コーチングのポイントは、まずは校長に「自分のなりたい姿」を明確にイメージさせる。
 次に、自分の現状はどうであるかを徹底的に認知させる。
 そして、どのようにしたらギャップを埋められるのか、対話を通してしつこく追求する。
 校長自身の長所はよく分かっているはずなので、それを最大限に引き出せるように、本人に気付かせ、やる気にさせる
 操作主義の心根は捨てて、校長の成功と成長を心から願い、自分がもっている経験や技量を惜しみなく与える(が、おしつけない)。
 校長の人材育成能力、リーダーシップ、コーチング力も、これと同じことです。

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昭和の家庭史トリビア?【第105問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 12月31日、紅白歌合戦の前身となる番組が放送されます。この番組名とは?
 ① 紅白音楽試合
 ② 紅白音楽対戦
 ③ 紅白音楽の戦い

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 【第104問の解答
 ②の16人に1人でした。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より